他人からコレクターと呼ばれると、いささかムッとする。LPレコードにせよ、古いロシア絵本にせよ、集めようと躍起になった憶えはない。いたく気に入って、身近に置いて愛玩するうちに、いつの間にか自ずと「集まってしまった」のだ。つまり結果としてそうなっただけであり、コレクション自体を目的にしたわけではない。
とはいうものの、四歳で始めた切手収集はすでに五十年以上続いているわけだし、それと並行して同じ頃すでに、グリコのおまけ、「崎陽軒のシウマイ」の瓢箪形の醤油入れ、広重の東海道五拾三次のマッチ、同じく東海道五拾三次をあしらった「永谷園のお茶漬け」のおまけカードなども集めていたのだから、世間から「筋金入りのコレクター」呼ばわりされても反論できないかもしれない。
今日ははるばる埼玉から妹とその子供たちが来訪した。甥っ子は中学一年、姪っ子は小学三年生。小生の手許にあるグリコのおまけを是非とも見たいのだという。これまで抽斗の奥に秘蔵したまま家人にも教えていなかったのだが、小生の手許には半世紀ほど前のグリコのおまけがまだ沢山残されている。1950年代後半にせっせとグリコを口中でとろかしては集めたものだ。
さんざん手に取って遊んだものだから、さすがに新品同様とはいかないが、それでもまずは良好な状態が保たれている。
まだプラスチック時代は到来せず、ほとんどが木とブリキでできている。乗用車、トラック、消防車、救急車から荷車、三輪車に至る乗物類、テレヴィジョン、トランジスタ・ラジオ、洗濯機、電気釜、電蓄、ピアノ、電話といった「文明の利器」の数々、世界各地の建造物のミニチュア、多種多様の独楽、などなど。
ずいぶん久しぶりに箱から取り出してずらり卓上に開陳したら、子供たちが驚きの声を挙げた。
当然だろう。なにしろ、どれも丹精こめて丁寧に手作りされており、ほれぼれするほどの出来映えなのだ。ひとつひとつは豆粒サイズだが、百数十点並ぶとさすがに壮観である。色合いがシックで上品なのに驚かされる。飽かず眺む。
そのあとはスクラブル(英字ゲーム)をしたり、西瓜を食べたり、海辺で日没を眺めたり。すっかり暗くなるまで遊んだ。妹も子供たちも疲れたろう。小生も家人も久しぶりに少年少女の相手をしたので草臥れた。
可哀相だったのは二匹の飼い猫。見慣れない来訪者にすっかり恐慌状態をきたし、箪笥の上やソファーの後ろの隙間に姿を隠したまま。夜になってようやく現れて食事をうるさくねだった。