茹だるような暑さによろめきながら、竹橋の近代美術館まで出向いた。手短に用事を済ませたあと、少しだけ展示を拝見。平日だというのに、けっこう混雑している。
開催中のアンリ・カルティエ=ブレッソンの回顧展をざっと観る。これも今週末で終わってしまう。
彼の写真はさまざまな機会に見知っているので、さすがに新たな発見はないが、スナップショットらしからぬ卓抜した構図(いわゆる「決定的瞬間」)は何度観てもやはり驚くべきものだ。
著名なアーティストの日常を捉えたポートレート写真が愉しい。
アトリエでくつろぐ最晩年のボナールとマティス。カメラをまるで意識していないジャコメッティ。多感な美少年としてのカポーティ。くつろいで仲睦まじく寝そべるカーソン・マッカラーズとジョージ・デイヴィス。仔猫と一緒にポーズをとるお茶目なソール・スタインバーグ、などなど。
写真家として知られるようになる前、カルティエ=ブレッソンは映画作家を目指していた一時期があった。ジャン・ルノワールの『ピクニック(野遊び)』(1936)や『ゲームの規則』(1939)を観たとき、タイトルロールに助監督として彼の名を見出して吃驚したことがあった。この時点で、彼はジャック・ベッケルやルキーノ・ヴィスコンティなどとともに、映画志望の青年としてルノワールの周辺に屯していたのである。
会場の出口近くに映像ブースがあり、そこでカルティエ=ブレッソンの稀少な映像作品をエンドレスでヴィデオ上映していた。いずれも抜粋、というかほんの数分の断片に過ぎないが、滅多に観る機会がないのでほれぼれと眺めた。
『生命の勝利 Victoire de la vie』(1937)と『スペインは生きるだろう L'Espagne vivra』(1938)の二篇はスペイン市民戦争に取材した記録映画。前者はシャルル・ケックランが音楽を担当している。もう一篇は『帰還 La Retour』(1944-45)といい、米国陸軍の出資により第二次大戦終結を各地で記録したもの。驚いたことに、親ナチの女性を衆目監視のなか殴打する場面(彼の代表的な写真のひとつ)と全く同じシーンが映画としても撮られていて驚愕。こちらの音楽はデゾルミエールが編曲指揮を手がけていた。
もうひとつ、これは別の人(Robert Delpire)が監督した映画であるが、『コンタクト Contacts: Henri Cartier-Bresson』(1997、七分)というフィルムが面白い。文字どおり、彼の密着焼付(コンタクト)をひたすら映していく映像なのだが、写真家が最終的に捨て去った「決定的」ならざる瞬間のショットがいろいろ紹介されて興味が尽きない。ジャコメッティが雨よけに外套を頭から被る有名な写真(
→これ)の前後のNGショットなど、滅多に拝む機会がないものだ。
混み合った展覧会場をあとにして、最後に四階の常設展示の小特集「劉生と麗子 岸田劉生関係資料より」を観る。
「麗子像」数点に加え、岸田家から寄贈された写真、手紙、日記、スケッチ類を効果的に配して、岸田父娘の微笑ましい生活のひとこまを捉えた好企画。劉生が娘に描いてやったコマ漫画やら、麗子が描いた自画像やら、有名な「劉生日記」のなかの該当箇所やら、知られざる家族の情景が垣間見られ、これは思いがけない眼福であった。この展示も12日(日)まで。
幸せな気持ちで外へ出たら、夕刻というのにボイラー室さながらの熱気にたちまち襲われる。慌てて地下鉄の階段を駆け下りた。