(承前)
今度は6日の大盛り焼きソバの続き。えっ? 誰も待ってないって? まあ、そうおっしゃらずに…。
洗面器のようなその大皿に盛られた焼きソバの量にたじろがぬ者はおるまい。通常の四、五人前は優にあろうかという、途轍もない富士山盛り、否、チョモランマ盛りとでもいおうか。
どうだ、と言わんばかりの主人の挑戦的な眼差し。周囲の学ラン連中の「食えるはずないだろ」という好奇の視線が痛いほどに感じられたのは、果たして気のせいか。
とりあえず、一箸つけてみて、そのしょうもない味に辟易した。ソバはコシを失ってねっとりべっとり、ソースの甘辛味があまりにも濃すぎる。おまけに焼きソバの山肌には具の存在が目視では全く確認できない。肉片はおろか、キャベツの切れ端すら皆無なのである。濃厚なソースにどっぷり浸された焼きソバのみを修行僧のごとくただ黙々、延々と食するのみ。
五分ほど食べ続けたろうか。もう舌が麻痺してきた。喉がやたら乾いて、何度もコップの水を所望する。ひたすら砂漠を歩き続けるキャラバンの一隊に加わったかのよう。しかも目的地は遙か彼方、蜃気楼のような有様だ。
十分ほど経過。焼きソバの山は一向に低くならない。せっせと頂を切り崩して食べるのだが、食べるソバから(冗談を言ってる暇もないが)それまで下で押しつぶされていた麺がむっくり立ち上がって、元の山の形を復元してしまうのだ。
気がつくと全身が汗みずく。果てしない灼熱の焼きソバ砂漠に打ちひしがれ、へたり込みそうになるが、自ら選んだ道ゆえ、進むしかない。傍らの容器に入った紅生姜がふとオアシスのように思えて、ついそこに「救いを求めて」しまう。ソース味でないというだけで嬉しいのだ。ほどなく口中が真っ赤になってヒリヒリしてくる。そこでまたコップの水をがぶ呑みする。
たっぷり水を吸い込んだ焼きソバが腹のなかで膨れ上がるのが感じられ、自分の胃袋の形状がはっきりわかる。
もはや勝負あった。とても食べきれる代物じゃない。時間が無制限にあるのならともかく、バイト先の昼休みとあれば、始めから勝ち目はなかったのだ。結局、優に二人分はあろう分量を食べ残してしまった。わが人生で一、ニを争う大失態である。
そもそも大盛りを注文しておいて完食できないなんて、人間として許されない。かねてから周囲にそう公言していた自分が、みすみすその掟を破ってしまったのだ。
屈辱と敗北感とで打ちのめされ、恥かしさと暑さで顔を真っ赤にして呆然と店をあとにしたと思うが、このあたりの記憶はすっぽり抜け落ちている。午後のバイト作業はどうだったか。焼きソバと紅生姜を口からゲロリと吐き出さぬよう、必死の思いだったと推察するが、何ひとつ憶えていない。
今でも地下鉄で茗荷谷を通るたびに、胃袋が少しばかり疼く。どうやら小生の良心はこの臓器に宿っているらしいのだ。