(承前)
え~と、なんの承前かというと、5日のエントリー『外科の夜明け』の続きである。
この本の著者ユルゲン・トールヴァルト Jürgen Thorwald は本名をハインツ・ボンガルツといい、1915年ゾーリンゲンで生まれたノンフィクション・ライター。若い頃に医学と歴史学を学んだキャリアを生かし、外科医学史三部作『外科の夜明け Das Jahrhundert der Chirurgen』(1956)、『近代外科を開拓した人びと Das Weltreich der Chirurgen』(1958)、『大外科医の悲劇 Die Entlassung: Das Ende des Chirurgen Ferdinand Sauerbruch』(1960)を立て続けに世に問うた。これらは60年代後半に相次いで邦訳され、中学~高校時代の小生の愛読書となった。そのほかにヒトラー時代を扱った戦争秘史ものや犯罪史の著作も数多く著し、つい昨年(2006年4月4日)スイスのルガーノで歿したという。享年九十。
『外科の夜明け』の何が素晴らしいかって、綿密に関連文献を博捜読破し、いかなる細部をも疎かにせず記述の正確さが期されていること。19世紀の医師たちの服装から手術器具、病院の建物の内部まで、まさにバルザックやユゴーばりの詳細さでありありと描写される。
もうひとつ、これは独創的な創意だと思うのだが、作者自身の母方の祖父にあたるというヘンリー・ハートマンなる19世紀のひとりの医師を登場させ、大西洋の両側で繰り広げられる医学的な大事件の一切を、このハートマンが目撃する、という小説的な手法を採用した。「それは外科医学の進歩という、偉大な物語の一貫性を保つため、そしてまた、これらの出来事が一人の人間の一生の間に起ったこととして描くために他なりません」(トールヴァルトの言葉、塩月正雄訳)。
作中「私」ことハートマンは1846年、ボストンでジョン・コリンズ・ウォーレンによる麻酔を用いた無痛手術に立ち会ったのを皮切りに、1856年のクリミア戦争では凄惨な野戦病院に居合わせ、1866年グラズゴーで出会ったジョン・リスター教授の口から直接パストゥールの「見えざる」微生物に関する新説を拝聴する。1880年にはドイツの田舎町にローベルト・コッホを訪ね、顕微鏡医学の意義を悟らされる。
作中の白眉は1881年、ハートマンの若妻スーザンが悪性の胃腫瘍を患い、夫の東奔西走も虚しく、なす術もなく死んでいく件りだろう。当時は世界最先端の外科医でも彼女を救う手術を行うことができなかったのである。なにしろ時の宰相がみすみす盲腸炎で命を落とすような時代だったのだから。
(明後日へつづく)