ドナルド・キーンの新著『私と20世紀のクロニクル』(中央公論新社、2007)を一気に読む。まことに巻を措くこと能わざる面白さである。
帯に「私の人生は、信じられないほどの幸運に満ちていた」というキーンの言葉が引かれているが、まことにそのとおり。彼が日本語と出遭ったのも全くの偶発的な出来事なら、古典文学にしか興味のなかった彼が同時代作家と昵懇の間柄になるのもほんの偶然だった。
もしも日米開戦がなかったなら、彼は海軍で日本語の特訓を受けることもなく、おそらくギリシアか中国の古典を専門とする学究になっていたに違いない。キーンが日本で初めて長期滞在し、京都に住んだとき、たまたま下宿先で永井道雄と同宿しなければ、「源氏」や「奥の細道」の専門家で終わっていただろう。永井はこのときキーンに対し、現代の日本にも興味をもつように強く促したのである。
ドナルド・キーンについては家人のほうがいろいろ読んでいてずっと詳しい。小生がこの新刊からいくつかのエピソードを紹介すると、それらはみな英語で読んだと言う。 そして、これだといって "On Familiar Terms"(Kodansha International, 1996)というペーパーバックを手渡される。ざっと目を通すと、たしかに共通した挿話がよく似た語り口で出てくる。
キーンにはほかに日本語でも自伝的著作がいくつかある。日本の作家たちとの交遊録『声の残り』(朝日新聞社、1992)がそうだったし、近著『私の大事な場所』(中央公論新社、2005)も「自伝的エッセイ集」と呼ぶべき内容だった。小生は未読だが、『このひとすじにつながりて』(朝日選書、1993)もそうらしい。
要するにこの『私と20世紀のクロニクル』は、八十五歳を迎える著者が人生の総決算として書いた「決定版」の自叙伝なのであろう。昨年、読売新聞に一年かけて連載されたものだそうで、その筆致は平明透徹にしてきわめて真率、関係者の大半がもはや鬼籍に入ったこともあろう、至るところで忌憚のない述懐が聞かれる。
どの頁にも興味津々な挿話が満載なので、どこをどう紹介すべきか困ってしまうのだが、海軍に徴用され、自決した日本兵の日記を職務として読んで心うたれるくだり、恩師たちへの率直な評言(角田柳作は教育者の鑑であり、アーサー・ウェイリーは碩学にして真の天才、エリセーエフは怠慢で反面教師だった、などなど)、間近に活写される谷崎・川端・三島・大江らの人間的な表情、とりわけ吉田健一の飲みっぷりの凄さ、などが鮮やかに描写される。なんという人生だろう。
本ブログとしては、次のような一節を引用すべきだろう。戦後間もなく、彼がケンブリッジ大に留学していた当時の回想だ。因みにキーンは無類の音楽好きで、筋金入りのオペラ・ファンである。
戦後のロンドンで聴いた音楽は、オペラだけではなかった。特に覚えているのはリヒャルト・シュトラウスの『四つの最後の歌』の初演で、歌ったのはキルステン・フラグスタートだった。新作が初演される時にその場に居合わせるのは胸がときめくものだが、初演が同時に最後の公演になることはよくあることだった。しかし、この時ばかりは最初に聴いた瞬間から、私は確信せざるを得なかった──これらの歌は長年にわたって、永遠にではないにしろ歌われ、記憶されることになるに違いない、と。初演を聴いた後、あてもなく街をさまよい歩くばかりで、何も考えることが出来なかった。
この箇所に限らず、本書の翻訳(角地幸男訳)はまことに明快。達意の訳文である。もっとも、そうでなければキーンさんが納得するはずがないのだが。