(承前)
「マイ・フェア・レディ」を舞台で観るのは永年の宿願だった。もちろん日本でもイライザに大地真央が扮した公演が何度となく繰り返されているのだが、これにはまるで食指が伸びない(絶対にミスキャストだと思うから)。どうせ観るのならブロードウェイかウェストエンドで、とひそかに念じていた。
思い返してみれば、ミュージカルなるものの存在を(漠然とだが)植えつけられたのは、1963年9月、菊田一夫が「東宝ミュージカル」第一作として「マイ・フェア・レディ」を日本初演したときに遡る(東京宝塚劇場)。
もちろん埼玉の田舎住まいの小学五年生が日比谷まで観劇に行けるはずもないが、それでもわが家で毎週とっていた「アサヒグラフ」にその舞台写真が大きく載っていたのを憶えているし、イライザ役の江利チエミが日本語で唄う「踊りあかそう」やら「すてきじゃない」やらが、当時さかんにラジオから流れていた気がする(だからこそ今でも日本語で唄えるのだ)。それに(これはネット上で得た知識の受け売りだが)この年の紅白歌合戦でも江利チエミは「踊りあかそう」を唄ったそうな。これは間違いなく観ているに違いない。
この日本初演時の主なキャストを記しておこう。
イライザ・ドゥーリトル/江利チエミ
ヘンリー・ヒギンズ/高島忠夫
ピカリング大佐/益田喜頓
アルフレッド・ドゥーリトル/八波むと志
フレディ/藤木孝
ピアス夫人/浦島千歌子
ヒギンズ夫人/京塚昌子
子供心にも衝撃的だったのは、このときの舞台で大好評だったドゥーリトル役の八波むと志が翌年1月、交通事故で急死してしまったこと。アンコール上演さなかの出来事だったという。新聞記事が、「運がよけりゃ…」と唄っていた男がなんという悲運だろう、と書いているのを読んで、深く同情したのをはっきり記憶している。そのときすでに「運がよけりゃ」のメロディも訳詞も、田舎の小学生が知っていたのだから、当時「マイ・フェア・レディ」が博していた人気の絶大さが察しられよう。
(明日につづく)