(承前)
滅多に話題に上らないウィレム・ファン・オッテルローについて書いてみようと思ったのは、つい先日、オーストラリアから取り寄せたCDで、晩年の彼がシドニー交響楽団を指揮したベルリオーズの「幻想交響曲」の実況録音(1974年)を聴いたからである(豪州の ABC Classics から出た "Sydney Symphony Orchestra: 75th Anniversary Collection" なる五枚組)。
LP時代に愛聴していた演奏だが、久しぶりに耳にして、誇張のない上品な音楽づくりに、いたく心動かされた。虚仮脅かしのところが一切無く、どこをとっても音楽的に処理されており、それでいて昂揚感にも不足しない。ほんとうに良い指揮者だなあ、と改めて思い知らされた。
それにしても、美術館の仕事で偶然に出逢った「ファン・オッテルロー氏」が、あの名指揮者の実の息子さんだったとは吃驚したものだ。
小生がウィレム・ファン・オッテルローの実演を聴いたのは1971年6月24日、浦和の埼玉会館で催された読売日本交響楽団特別演奏会。あとにも先にもこれ一回しかない。
オッテルローは1960年代から70年代にかけて、この読売日響を振りに何度も来日していたので、生演奏に触れる機会はいくらもあったはずだが、愚かにもすべて聴き逃してしまった。残念無念というほかない。
曲目はベートーヴェンの「皇帝」と「英雄」のシンプルな二本立。ピアノ独奏は宮澤功行という若い人だった。
この日の演奏はたいそう素晴らしい出来だった、と書ければいいのだが、悔しいことにほとんど憶えていない。同じ英雄交響曲を1973年にカラヤン&ベルリン・フィル、アッバード&ウィーン・フィルで聴いたときの記憶は鮮明なのに、これはどうしたことか。さほど印象に残らない地味な演奏だったのか。それより何より、当方の「聴く耳」に問題があったのだろう。
その後、古いモノラル盤LPを集めていて、オッテルローがすっきりと端正で味わい深い演奏を聴かせる隠れた名匠であることに、遅蒔きながら少しずつ気づいていった。とりわけ、ベートーヴェンの「田園」と「第九」、マーラーの「第四」と「子供の死の歌」、フランクの交響曲と「プシュケ」。さらにはラヴェルの「ダフニスとクロエ」が目覚ましい秀演なのである。オーケストラは彼が二十年以上薫陶したデン・ハーク(ハーグ)のレジデンティ管弦楽団。
独墺物とフランス近代音楽どちらにも適性があるのはオランダ人ゆえだろうか。隣国ベルギーの指揮者クリュイタンスとも共通する資質を感じずにはいられない。
「とても良い指揮者でしたね」という小生の言葉がよほど嬉しかったのだろう、クリス・ファン・オッテルロー氏は堰を切ったように、父上の思い出を語り始めた。
(明日につづく)