家人が踊りの稽古に出掛けた隙をついて、先日ディスクユニオンでたまたま見つけたDVDを鑑賞。こういう二枚組だ。
The Art of Dietrich Fischer-Dieskau
Deutsche Grammophon 00440 073 4050 (2005)
不世出のバリトン歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの80歳を祝う記念盤。The Opera Singer と題された一枚と、Master of the Lied なる二枚目からなる。申し訳ないが、フィッシャー=ディースカウにさしたる興味がもてない小生だが、これはどうしても架蔵せねばならない。一枚目に途方もない宝が潜んでいるからだ。
1960年、ミュンヘンのプリンツレゲンテンテアターで収録されたリヒャルト・シュトラウスの『アラベラ』の舞台中継が、断片的ではあるが収録されているのだ。FD氏が演ずるのはアラベラに恋焦がれる青年マンドリュカ、アラベラに扮するのは言わずと知れたリーザ・デラ・カーサである。指揮は名匠ヨーゼフ・カイルベルト。
同じ顔ぶれでライヴ録音されたレコードがあるが、あれは1963年、同じミュンヘンでの収録、これはその三年前にバイエルン放送局によって録画されたTV用の映像である。モノクロなのがいかにも残念だが、画質はすこぶるよろしい。デラ・カーサの『アラベラ』全曲の映像が残されていることは前々から聞かされていたが、実見するのはこれが初めて。長生きはしてみるものだ。
DVDで観られるのは三場面。FD氏の見せ場中心ということでデラ・カーサが出ているのは第二幕 "Ich habe eine Frau gehabt, sehr schön, sehr engelsgut" の七分半だけなのだが、それでも動き演じ歌うデラ・カーサを目のあたりにする歓びは何物にも替えがたい。
なんという優雅、なんという気品、なんという美貌だろう! 1960年といえばデラ・カーサ41歳。来日して「四つの最後の歌」を歌ったちょうど十年前にあたる。これは彼女が歌手として演技者としてまさに絶頂期にあったときの映像である。人類の宝と呼ばずしてこれをなんと称しよう。
マリア・カラスの例をひくまでもなく、往時のオペラ歌手の映像記録はきわめて乏しく、生涯の当たり役を演ずるデラ・カーサをこうして拝むことができるのは、奇蹟に近い僥倖なのだ。
ああ、七分半はあまりにも短い。かくなるうえは全幕の映像を一日も早くDVD化してほしい。それまでは死んでも死にきれない気持ちだ。
そんな折も折、デュッセルドルフの古本屋からこんな本が小包で届いた。
Dragan Debeljevic:
Ein Leben mit Lisa della Casa, oder 《In dem Schatten ihrer Locken》
Atlantis, Zurich, 1975
「リーザ・デラ・カーサとの生活」という題名から察しられるように、これは彼女の実生活の伴侶であるジャーナリストが書き下ろした回想である。刊行時期は彼女が一切の演奏活動から身を引いた直後。その音楽人生を振り返る意図で書かれた一冊であろう。
ああ、と深い嘆息。こんなことならドイツ語をちゃんと勉強しておくのだった。現状では各頁ごとに五十回くらい辞書を引かねばならない。それでもなんとか読んでみたいものだ。今日のところは、ふんだんに差し挟まれた彼女の舞台写真や珍しいプライヴェート・フォトの数々を、ためつすがめつ眺めることで満足。