(承前)
スイスの風光明媚で静寂な環境は、間もなく84歳を迎えようとする老大家にまたとない理想的な創作の場をつくり上げていた。
彼は1948年春モントルーのパレス・ホテルに居を構え、アイヒェンドルフの詩「夕映えに Im Abendrot」に曲をつけ始める。先述したように、彼が歌曲に手を染めるのは1928年の『東洋の歌』以来のこと、実に二十年ぶりだったし、管弦楽つきの声楽としても最後のオペラ『カプリッチョ』(1941)からすでに七年の歳月が流れていた。
嬉しいにつけ悲しいにつけ、私たちはいつも
手に手を携えて歩んできた。
さすらい続けたあげく、私たちは今
穏やかな丘に憩う
で始まり、暮れなずむ風景のなかで鳴き交わす二羽の雲雀の声を聴いたあと、
おお、広々と穏やかな平和よ!
夕映えのなかでかくも深々と。
さすらうのに疲れた私たち
これはひょっとして死ではないのか
と締め括られる。長い旅路の果てに心の平安へと到り、来るべき死を静かに予感するというこの詩が、シュトラウスの心の琴線に強く深く触れたことは疑いようがない。
詩のなかの「私たち」とは、長年苦楽を共にしたパウリーネ夫人(彼女はもとオペラ歌手で、シュトラウスの青年期の歌曲の多くは彼女のために書かれた)と自分のことのように思えただろうし、丘の上で鳴き交わす二羽の雲雀もさながら音楽家夫妻の化身のよう。そうして心ならずも故国を離れた老巨匠は、アルプス山中で遠からぬ死に思いを巡らせる…。
これこそは古今の作曲家が手掛けた最も美しく、最も胸に迫る「辞世の歌」なのだ。曲中シュトラウスは自身の人生を回顧するように、オーケストラに自作のオペラ『ダナエの愛』の一節やら、若書きの交響詩『死と変容』の一節やらを忍ばせている。
「夕映えに」は5月6日に完成した。彼の思いを託すにはこの一曲だけでも充分だったのだが、6月11日に84回目の誕生日を迎えたシュトラウスは、なおもその先へと行こうとする。
たまたま友人に手渡されたヘルマン・ヘッセの詩集からいくつか気に入った詩篇を選び出し、それらに附曲を試みたのである。
まず出来上がったのが「春 Frühling」。先の「夕映えに」とは対照的に、光と生命に溢れた春をのびやかに謳歌する内容だ。完成は7月18日、ポンテレジーナ(スイス)にて。
今おまえは栄光に包まれて
光を一身に浴びながら
奇蹟さながらに横たわる
そして夏の盛りに、同じくヘッセの詩集から、ほの暗い夜の瞑想の世界への誘いを詠った「眠りにつこうとして Beim Schlafengehen」。あらゆるシュトラウスの声楽曲のなかで、聴き手の心の最も深いところにまで到達する「絶唱」というべき作品がついに書かれた。その音楽の深さと広やかさ、魂の真率さはちょっと比類がない。8月4日、同じくポンテレジーナで完成。
手よ、あらゆる営みを捨て去れ、
頭よ、あらゆる思考を忘れよ、
いまやわが想いのすべては
ひたすらにまどろみを希う
そして9月20日、モントルーに戻った彼が最後に仕上げたのが、その名もまさしく「九月 September」。
輝かしい夏は終わってしまった。ヘッセが描き出すのは、静かに雨の降り注ぐ、誰もいない初秋の庭。シュトラウスの巧みな管弦楽法は弦楽器の下降旋律で「しとど降る」雨を描写して実に心憎い。さりげない喪失感の表出が素晴らしいのだ。
庭は喪に服している
雨が花々に冷たく降りしきる
夏は身を震わせながら、
静かに終わりのときを待つ
ここまで四曲を書いてシュトラウスは筆をとめた。
(つづく)