(承前)
すでに述べたように、1924年にミュージカル『ノー・ノー・ナネット』の挿入歌として作曲された「二人でお茶を Tea for Two」は、瞬く間に世界各地で大ヒットを記録する。
その余波はついにヨーロッパの辺境たるロシアの地にも及び、二年後の1926年にモスクワで「タイチ・トロット Taiti-Trot」なる楽譜が出版された。そのこと自体がすでに驚くべき現象なのだが、小生がこの楽譜を「とんでもない」と称する理由はそれとは別にある。
もう一度、楽譜の表紙をよく見ていただきたい(小さい
写真で恐縮だが)。そこにはこの曲の作者名がはっきり記されている。
Слова К. Н. Подревского
Муз. арр. Б. И. Фомина
詞: K. N. ポドレフスキー
曲(編曲): B. I. フォミーン呆れたことに、これがアメリカ伝来の楽曲であることを窺わせる記載は一切ない。楽譜のどこを探しても、原曲の作詞家アーヴィング・シーザーの名はおろか、作曲者ヴィンセント・ユーマンズの名すら見出せないのだ。あたかも「これはロシア人のための、ロシア人の手になるフォックストロット」であると言わんばかり。「タイチ・トロット」は正真正銘、生粋のソ連っ子、ポドレフスキーとフォミーンのオリジナル作品なのだ、と。
ポドレフスキーとフォミーン。この二人の名をここに発見して、思わず叫び声をあげそうになった。
コンスタンチン・ポドレフスキー Konstantin Podrevsky(?-1942)とボリス・フォミーン Boris Fomin(1900‐1948)。このコンビこそは、メリー・ホプキンが1968年に録音した大ヒット曲「悲しき天使 Those Were the Days」の原曲であるロシア歌曲「長い道 Дорогой длинною」(1917)の作詞・作曲者にほかならない。
もうお忘れだろうか、当ブログではこの「長い道」がどのような隘路を辿ってロンドン・ポップス「悲しき天使」となったかをしつこく追跡したことがある(1月20日あたりのエントリーを読まれたい。例えば
ここ)。
両人の歿後のこととはいえ、最高傑作「長い道」がいつの間にか別人の作として人口に膾炙してしまうという苦杯を嘗めたポドロフスキー&フォミーンであるが、なんのことはない、彼らは彼らでブロードウェイ発のヒット曲を自作と称してソ連国内に流布させていた。因果は巡るということか。
(明日につづく)