(1月27日のつづき)
人跡未踏のアマゾンの奥地、マットグロッソの大魔境で繰り広げられる、想像を絶する冒険譚。もしもスピルバーグに日本語が読めたなら、必ずや映画化権取得に乗り出すだろう。『緑の金字塔』はそれほどまでに血涌き肉躍る活劇ロマンなのだ。
小学生時代、その「前篇」を鈴木先生の名調子で読んでいただいてから、いたずらに四十数年が過ぎ去った。この小説といつか再会したいものだ、「後篇」を読まないうちは死んでも死にきれない──そんな思いを抱き続けてきた。
もちろん古本屋の棚を躍起になって探した。戦後の刊行(おそらく1950年代)だと思うのだが、この本に限らず、児童書は大半が廃棄されてしまうので、見つけ出すのは至難の業なのだ。
1970年代末のこと、ようやく神保町で『冒険探検小説 緑の金字塔(密林遠征の巻)』と銘打たれた一冊とめぐり合った。作者は南 洋一郎、1950年、大日本雄弁会講談社刊。
標題の「金字塔」には「ピラミツド」とフリガナが振られている。ああ、これか、これなのか、といったんは躍り上がったものの、どうも表紙絵に見覚えがない。もっと分厚い本だったと記憶するのだが…。読んでみると、ストーリーはどうやら同一なのだが、挿絵がまるきり違う。本当にこの本なのかなあ?
もっとも決定的だったのは、その末尾の文章。小生の記憶によれば、主人公の少年の「ばかだ、ばかだ、 僕はなんというばかだったんだ!」という悲痛な叫びで終わるはずなのに、この本は特段の盛り上がりもなく、尻切れトンボで終わってしまっている。なんだか裏切られたような思いで、それきり書棚の奥にしまい込んでしまった。
それから十年ほどして、どこの店でかは忘れたが、『緑の金字塔(後篇)魔境怪人の巻』なる一冊を僅か20円で発掘した。版元はポプラ社で、刊行は1954年。先の講談社版とは判型こそ同じだが、こちらは三百頁ほどある厚手の本。カヴァーがとれてしまっているが、全体の風合いから察するに、これこそ鈴木先生が読んで下さった物語の後篇なのではないか。
すぐに書棚から講談社版を取り出して、その末尾とポプラ社版の冒頭を読んでみたら、ストーリーがまるで繋がらない。一体全体、どうなっちゃってるんだろう。
今日、ついにその積年の謎が解けた。
上野の国際子ども図書館に出向いて調べたら、呆気ないほど簡単にわかった。
やはりそうだった。先生が読み聞かせて下さったのは、1954年のポプラ社版だった。『緑の金字塔(前篇)密林遠征の巻』。副題は講談社版と同一だが、308ページもある厚冊だ。おそるおそる最終頁を繰ってみると…。
などと考えていたぼくは、とつぜん、はっと顔色をかえた。
トカゲ……トカゲ……トカゲのパイプ、あれはどうしてしまった。ぼくは思わず飛びあがった。
ああ、ぼくは、あの地下道の中で、ロサーダ博士におどかされたとき、あのパイプを地下道にかくしたまま、わすれてきてしまったのだ。それを、その後のいろいろな大事件のために、思いだすひまもなかったのだ。
ばかだ、ばかだ、ぼくは、あの大きな秘密がかくされているらしい、なぞのトカゲのパイプを…。
やっぱりそうだった! 前篇の終わりはこれでなくちゃね。
講談社版では、ここに至る十五もの章が欠落していたのである。これでようやく、手許のポプラ社版の後篇『魔境怪人の巻』を、心安んじて読み進めることができる。