先日、フレデリック・ディーリアスの音楽に出逢った70年代初頭の思い出に耽っていて、思わず知らず口をついて出たのが Those Were the Days というフレーズだった。
「あの頃は…だった」というお決まりの言い回しなのだが、この常套句がわが日本でも人口に膾炙したのは、1968年暮れから69年初頭にかけて大ヒットした "Those Were the Days" すなわち、メリー・ホプキン唄うところの「悲しき天使」のお蔭なのである。
この曲はビートルズの面々が鳴り物入りで立ち上げた新会社「アップル」レーベル最初のシングル盤だった(APPLE-2。ちなみにAPPLE-1 は欠番)。メリー・ホプキン Mary Hopkin(1950- )は当時まだ全く無名の18歳のフォーク歌手。それがいきなりポール・マッカートニーのプロデュースでメジャー・デビューを果たし、世界的なベスト・ヒットを記録したのである(全英第一位/全米第二位/オリコン '69.1.27 第一位)。
ミニスカートを穿いた金髪の美少女がギターを抱え、芝生に坐っているジャケット写真を覚えているという方も少なくなかろう。
その曲はこんな歌詞で始まった。
Once upon a time, there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours,
Think of all the great things we would do
Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way
へえ~、こんな歌詞だったんだ!と、当時は田舎の高校一年生にすぎなかった小生はちょっと唖然とする。そうなのか、これは人生に幻滅し、希望と光輝に満ちた青春時代を思い出しては懐かしむ、倦み疲れた中年男こそが口ずさむべき唄だったのだ。今の今まで知らなかったなあ。
メリー・ホプキンの透明で瑞々しい歌声に、なんだかずっと騙されていたような気持ちになる。それからもちろん、「悲しき天使」という、ひどく見当違いな邦題にも。
次にこの唄を耳にしたのは、芝居小屋の暗がりに身を置いたときだった。唐十郎の「少女仮面」の冒頭で、この曲は実に印象的な使われ方をしているのである。
宝塚に憧れるウブな少女・貝がしわくちゃの老婆に手を引かれて、往年の大スター・春日野を尋ねて旅をする。老婆は歌う、「時はゆくゆく乙女は婆アに、それでも時がゆくならば、婆アは乙女になるかしら…婆アが乙女になるような、Uターン秘術を誰が知ろう」。そして二人は口を揃えて叫ぶ、「何よりも、肉体を!」。すると突然、舞台は暗転し、メリー・ホプキンの「悲しき天使」が大音声で鳴り響くのである(台本に指定されている)。あまりの唐突さに、度肝を抜かれること必定なのだ。
「少女仮面」は唐十郎が珍しく他流試合、すなわち自前の一座ではなく、鈴木忠志の早稲田小劇場のために書き下ろした芝居である。だから初演で主役・春日野を演じたのは、李礼仙ではなく、白石加世子なのである。1969年10月のことだ。もちろん小生はこの舞台を観てはいない。
初めてこの芝居と出会ったのは、埼玉の素人劇団「演劇集団・水無月」の公演だった(演出・菅谷弘)。アマチュアだからと侮ってはならない。このときの舞台は素晴らしかったのだ。1980年か81年のことだ。その後、李礼仙の春日野も渡辺えり子の春日野も観ているが、この「水無月」公演には遠く及ばないと感じたほどである。
「少女仮面」がどんな芝居かを要約することは不可能だ。宝塚スターと甘粕大尉との満洲の地での邂逅、追っかけファンの少女・貝、腹話術師とその人形、地下喫茶店の従業員やら水飲み男らが入り乱れ錯綜する奇怪な物語だからだ。ただひとつ確かなのは、この奇想天外なバーレスク劇が、過ぎ行く時の仕掛ける人間への残酷な仕打ち、とりわけ逃れがたい肉体の老いと衰え、という一点をめぐって展開されることである。
そう考えると、唐が劇中音楽として「悲しき天使」を使いたくなったのも、単なる気紛れとは思えなくなってくる。角川文庫版(1973)のあとがきで、唐は「廊下で昼寝をしていたら、メリーポプキンズ(ママ)の『悲しき天使』で起こされた」「これを書いている間、傍らに『悲しき天使』のレコードをかけていました」と述懐する。1969年の初夏の頃というから、「悲しき天使」の日本での大ヒットの半年後のことだ。
(明後日につづく)