先ほど妹からの電話で、フィリッパ・ピアス Philippa Pearce の訃報を知らされる。昨日の新聞に記事が載ったという。昨年12月21日、ダラム(Durham)にて脳卒中で亡くなったそうだ。享年86。
ピアス女史はイギリス児童文学界の至宝というべき存在だった。1958年というから、彼女が38歳のときに出た『トムは真夜中の庭で Tom's Midnight Garden』は、ファンタジーとリアリズムを絶妙に織り合わせた奇蹟的な傑作である。タイム・トラヴェルもののSFとしても、年齢を超えた恋愛譚としても、孤独な少年の成長物語としても読むことができ、大人の鑑賞にも充分に堪えうる。これ一作だけでもピアスの名は永遠に記憶されるに違いない。
1967年の暮、高杉一郎さんの翻訳で出た『トムは真夜中の庭で』を、すぐさま神保町の信山社で買い求め、一気に読み進めた日のことを今でも忘れない。中学三年のときだ。
そのあと、翻訳で『ミノー号の冒険』(前田三恵子訳)と『まぼろしの小さい犬』(猪熊葉子訳)を読んだ。1970年代初めだったと記憶する。前者は ピアスのデビュー作 "Minnow on the Say"(ハヤ号セイ川をいく/1955)の抄訳、後者は第三作 "A Dog So Small"(1962)の全訳である。それぞれに味わい深い作品だが、どちらも『トムは真夜中の庭で』の完成度には及ばない、というのが率直な印象である。
それからは原書で読んだ。まだ翻訳が出ていなかったからだ。
"From Inside Scotland Yard"(1963) *Harold Scot との共作
"What the Neighbours Did"(1972)
"The Shadow Cage"(1977)
"The Children of the House"(1977) *Brian Fairfax-Lucy との共作
"Elm Street Lot"(1979)
このあたりまでだろうか、どれもそこそこ面白かったし、文章は簡潔で美しいと思った。でも、飛び抜けた傑作というほどではなかった。期待が大きすぎたのだろうか。
それ以来、フィリッパ・ピアスを読んでいない。その後ほとんどの作品が邦訳されたという話だが、失望するのが嫌で、なんとなく敬遠してしまったのだ。
今、書庫から "Tom's Midnight Garden" を引っ張り出して眺めている。Oxford から出た英国版だ。スーザン・アインツィヒの挿絵が素晴らしい。繊細で細密で、しかも喚起力がある。この週末はこれを再読しよう。
せっかくだから、そのあと、ロバート・ネイサンの小説『ジェニーの肖像』も読んで、両者を比較してみよう。前々からこの二作は関連があると睨んでいるからだ。小生の仮説によれば、ピアスはネイサンの小説(1940)、もしくはその映画化(ディターレ監督『ジェニイの肖像』1949)に深く魅せられたうえで、そこからいくつものヒントを得て『トムは真夜中の庭で』を構想した。双方とも印象的な氷上スケートの場面があるのが、そのなによりの証拠ではないか。