20世紀を生きる芸術家はしばしば過酷な試練に出くわした。1930‐40年代、ドイツと日本、そしてソ連では全体主義国家の成立により、自由な創造行為がことごとく圧殺され、体制に刃向かう者は牢獄行きや死を覚悟しなければならない、悪夢のような状況が現出した。
信じがたいことに、同様の事態は1940年代末から50年代にかけて、アメリカ合衆国でも起こった。デモクラシーを標榜し、市民的自由が保証されているはずの国で、思想信条ゆえに差別され、創作の現場から追いたてられ、その後の人生を棒にふる表現者が続出したのである。
共産主義を奉じる者はアメリカ人に非ず。これが時代のキーワードだった。議会に召喚された者は、自らが共産主義者でないことを証したうえで、友人知己の誰それが共産党員である(あった)ことを名指し(naming names)せねばならない。拒んだ者は議会侮辱罪に問われ、容赦なく投獄された。
世に言う「赤狩り」の時代、マッカーシズムの時代の到来である。リリアン・ヘルマンの呼び方に倣うなら、それは異端審問、密告と裏切り、相互不信の渦巻く「ならず者の時代」であった。
この時代、西海岸の映画人を中心に「赤狩り」の実態に迫った著作として、われわれはすでに陸井三郎の『ハリウッドとマッカーシズム』(筑摩書房、1990/現代思想文庫、1996)を手にしている。過酷な時代に遭遇した映画人たちがいかに闘い、敗北し、作家生命を奪われていったかを、この一冊は揺ぎない筆致でまざまざと描き出している。20世紀を生きた者なら常に座右に置くべき名著だと思う。
ところで今年に入ってもう一冊、注目すべき日本語の著作がひっそりと刊行された。上島春彦『レッド・パージ・ハリウッド 赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝』(作品社、2006)がそれである。
二段組で四百頁近い大冊。先週末に読み始めたのだが、簡単には終わらず、さきほどようやく読了。その感想については明日書くことにしよう。