(6日の続き)
小説より奇なり、という言葉があるが、よく書けた評伝には凡百の小説をはるかに凌駕する面白さがある。英米ではもはやそれが常識になっていて、芸術家であれ科学者であれ政治家であれ、歴史に名を残すほどの人物には、詳細に調べつくした大冊の伝記本が必ず編まれている。それを辞書を引きながらちびちび読むのは、読書好きにとって無上の快楽である。
日本では残念ながら事情が異なる。故人に対するリスペクトの欠如のゆえか、私生活を詮索することへの逡巡からか、資料や証言を収集し徹底的に調査して書かれた評伝がきわめて少ない気がする。たまに見かけても、登場人物があれこれ会話するような(つまりディテールの捏造ですな)無責任な態度のものがほとんどだ。
多大な年月を費やした『美酒と革嚢』はさすがによく調べて書かれている。長谷川巳之吉自身が書いた編集後記や自伝的小文、周辺の人物の回想類を周到に用いながら、この独立覇気の出版人の生涯をかなりの程度、跡づけることに成功している。もちろん、六、七十年前の出来事を再構築するには、空襲や散逸により多くが失われていて、仮説や推論の域を出ない記述もあるのはやむをえないことだろう。
著者の長谷川郁夫さんは1982年からこの評伝の執筆を始め、約十五年の中断を挟んで昨年まで取り組んだ。頓挫の理由はいろいろ想像されるが(その間に長谷川さん自身の経営する出版社が倒産する)、本書の第一部と第二部の間にある種の齟齬というか、繋がりの悪さがあることは誰の目にも明らかであろう。
とはいえ、自らも出版人である長谷川さん(巳之吉の血縁ではないそうだ)の視点は終始一貫している。すなわち、「高邁な芸術至上の理想を掲げた第一書房が、戦時体制に協力した揚句、なぜ解散に追い込まれねばならなかったのか」という重たい問いかけである。著者はそこに「出版理念の追求」から「商売優先」「時局迎合」へと展ずる巳之吉の変節を読み取るのだが、このあたりは頁を繰るのが辛かった。たしかにヒットラーの『わが闘争』の版元がほかならぬ第一書房であると聞くと、誰もが唖然とする。なぜそこまでしたんだ、巳之吉よ、と言いたくなる。
思うに著者はこの悲しい結末を知ったうえで、帰納法的に巳之吉の過去へ、出自へと興味を遡及させていったのではないか。その態度はまっとうだと思うのだが、評伝作者としての眼差しが一貫して巳之吉に厳しすぎ(愛情の裏返し?)、筆致がペシミスティックに傾きがちなのが気になった。正直なところ、読み進めるのがしんどいと何度も思わずにはいられなかった。
音楽評論家の大田黒元雄が第一書房に執筆者としてのみならず、出資者としても深く関与し、巨額の融資を行っていたことは小生も夙に承知していた。第一書房はある時期まで、巳之吉と大田黒の共有財産だった、といっても過言ではあるまい。
ジャン・コクトーの芸術論を大田黒が訳した『雄鶏とアルルカン』は、限定三百五十部の豪華本として1928年7月に第一書房から刊行された。小生が架蔵する一冊には見返しにペン書きで献呈の辞が記されている。興味深いことに、これが大田黒の筆跡ではないのだ。
小松耕輔様 譯者渡歐中に就き 出版者代筆
つまりこれは長谷川巳之吉の直筆なのだろう。彼と大田黒との一心同体ぶりを示すエピソードと思い、ちょっと紹介してみた次第。