およそ大正・昭和期の古書に関心を抱く者なら、第一書房という出版社の本を何冊か、必ず架蔵しているだろう。そんな版元は知らないという人はモグリである。
堀口大学の『月下の一群』(1925)、『日夏耿之介定本詩集』(1927)、『萩原朔太郎詩集』(1928)など、近代文学史上に名高い、贅を尽くした詩集群。まあ、これらは高嶺(高値)の花なのでおいそれと手が出ないが、立派な外装のわりに古書価が驚くほど安い『近代劇全集』(1927~)ならば何冊か持っているぞ、という人が多いのではないか。なにしろ、数年前まで端本が二、三百円で買えたので。
このほか思いつくままに挙げると、堀口大学が手がけた一連のジャン・コクトオ、アンドレ・ジイド、サン=テグジュペリの翻訳物、伊藤整らが悪戦苦闘した日本初訳のジョイス『ユリシイズ』(1931/34)、ハンガリーの劇作家モルナアルの戯曲集と小説集(いずれも鈴木善太郎訳)などがすぐに思い浮かぶ。詩人・野口米次郎(イサム・ノグチの父)のエッセイを集めた『野口米次郎ブックレット』なるお洒落なシリーズもあったし、『セルパン』という面白い月刊雑誌も、ここ第一書房から出ていた。
音楽批評家・大田黒元雄の数多い著訳書は、1920-30年代にはことごとく第一書房から刊行された。その金字塔と呼ぶべき一冊は、ディアギレフのバレエ・リュスを集大成した『露西亜舞踊』(1926)であろう。贅を尽くしたこの豪華本はパリのラリオーノフ&ゴンチャローワ夫妻(バレエ・リュスの舞台美術家)の手許にも届けられた。
この第一書房を創業し、幾多の良書を世に送った出版人・長谷川巳之吉の評伝が出た。長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』(河出書房、2006)という本である。なにぶん四百頁を上回る大著なので、読むのに丸二日かかった。次回はこれを紹介しよう。