今日も爽やかな日和。早起きして荻窪へ出向く。昨日の記事で話題にしたシャルル・ケックランの作品を集めた珍しい演奏会がある。
朝の11時、場所は名曲喫茶ミニヨン。駅から歩いて五分の距離にある小さな店だ。座席数は三十そこそこ。ここで月一回催される「カフコンス Cafconc」なる連続演奏会の第30回目という。caf' conc'とはつまり café-concert 、19世紀パリのひそみに倣った催しである。
今回のタイトルは「ケックランと女優たち」。ケックランが憧れの映画スターに捧げた楽曲を生で聴けるという、まことに稀有な機会である。このコンサートがあることを知ったのはつい数日前。気がついてよかった。曲目は次のとおり。
*「リリアンのアルバム L'album de Lilian」第一集 作品139 (1934)
1. 女学生のお肌を保ちましょう Keep That School Girl Complexion
2. 格式張らないフーガ Fugue sans protocole
3.和解のワルツ Valse de la réconciliation
4. 澄んだ眼 Les yeux clairs
5. 戸外の歓び Joie de plein air
6. スケーティング・スマイリング Skating-Smiling
7. 幸福へ向かって En route vers le bonheur
8. 涙 Pleurs
9. だいじょうぶさ Tout va bien
渡辺玲奈(fl~4, 6, 7, 8 & piccolo~7, 8)
渡辺有里香(sop~1, 6, 9)
川北祥子(pf)
*「ジーン・ハーロウの墓碑 Epitaphe de Jean Harlow」作品164 (1937)
伊藤あさぎ(sax)
渡辺玲奈(fl)
川北祥子(pf)
わずか二曲のみ、三十分ちょっとの小さなコンサートだが、ご覧のとおり取り合わせが絶妙。こんな洒落た企画を考え出したピアニストの川北祥子さんに感謝したい。
昨日も書いたように、「リリアンのアルバム」はケックランがリリアン・ハーヴェイに捧げるべく、ひそやかな想いを綴ったオマージュともファンレターとも恋文ともつかない小曲集。1曲目と9曲目の歌詞も作曲者自身の手になる。ミニアチュールと呼びたいほどの愛らしい小品ばかり続くが、フォーレのように優美でサティのように平明な旋律があるかと思えば、不協和音を多用した大胆な曲もあるという具合にきわめて変化に富み、ケックランの抽斗の多さを感じさせる。ドビュッシーとブーレーズを繋ぐミッシング・リンク的存在、といったら褒めすぎか。
悲しい結末しかもたらさなかったケックランのリリアン崇拝だが、かくも魅力的な楽曲を産み出したわけで、あながち不毛な愛とばかりいえないかもしれない。
ちょうど同じ頃、大西洋の反対側のアメリカでは、ジョゼフ・コーネルなる青年がハリウッドのB級女優ローズ・ホバート Rose Hobart に入れあげて、その主演作の上映プリントを勝手に切り貼りした個人映画(1936)をこしらえていた。後年「箱のアーティスト」として名を成してからも、コーネルは映画女優のへディ・ラマーやローレン・バコールやジェニファー・ジョーンズに捧げるオマージュ作品を構想し続けた。銀幕スターへの憧憬から純粋な結晶体のごとき作品を創出しえたという点で、ケックランとコーネルはまるで兄と弟のように似通っている。
リリアン・ハーヴェイへの「片思い」が哀れな結末を迎えたのちも、ケックランはしばらくの間、ジンジャー・ロジャーズ、ジーン・ハーロウなどのスターに淡い憧れを抱き続けた。今日の二曲目、「ジーン・ハーロウの墓碑」は、そうした思慕の念のささやかな表明である。小生にとっては35年前にこれで初めてケックランを知った、思い出深い楽曲でもある。生で聴くのは初体験だが。
「地獄の天使」(1930)と「プラチナ・ブロンド」(1932)でヴァンプ女優の地位を確立したジーン・ハーロウは、30年代を象徴するセックス・シンボルと称賛されながら、わずか26歳の若さで病魔に斃れた。そのため彼女にはスキャンダラスで禍々しいイメージがつきまとうが、ケックランの音楽はそれとは裏腹に、リリカルで透明で、牧歌的ですらある。これが彼女の霊を慰める追悼音楽だからであろう。
…とこれだけで、いともあっけなく終わってしまう演奏会ではあったが、小生は大いに堪能した。若い奏者たちもそれぞれ健闘していたと思う(ソプラノの高音がちょっと苦しかったけど)。
ケックランの満たされぬ想いはほとんど妄執の域に達していたはずだが、それがこうして美しい音楽として結実したのだから、Tout va bien.──「すべてよし」「これでいいのだ」と考えよう。