このブログを始めるにあたって、「自己紹介」の欄を記入していた際、「好きな音楽」として、咄嗟に「パーシー・グレインジャー」の名が脳裏に浮かんだ。
Percy Grainger (1882‐1962)/オーストラリア出身のピアニスト兼作曲家。20世紀初頭にヴィルトゥオーゾとしてイギリスを中心に活躍、その後アメリカに移り住んで演奏・作曲活動を続けた。もっぱらイギリス民謡を編曲した愛すべき小品の作者として知られるが、ダウランド、バッハからデューク・エリントン、さらにはガムラン音楽までを視野に収めつつ、20世紀音楽の革新をめざす壮大な夢想家でもあった。
小生は1970年にケン・ラッセル監督のTV映画「夏の歌」(1968)を観て、グレインジャーの存在を知った。病のため視力と四肢の自由を奪われた作曲家ディーリアスの晩年を描いたこの伝記映画のなかで、頑固一徹な老人のそばで登場人物の誰もがひっそり息をひそめるなか、友人として来訪したグレインジャーは、屋敷のなかを駆け抜け、ディーリアスの車椅子を猛スピードで走らせ、陽気な笑いをふりまく天衣無縫の人物として描かれていた。この奇妙な男はいったい何者なのか。グレインジャーという存在はそのときからずっと気にかかっていた。
CD時代になってようやく、ぽつりぽつりとグレインジャー作品が録音され始める。彼自身がピアノ・ロールに記録した古い演奏も覆刻盤が出た。1996年からは「グレインジャー・エディション」なる全作品録音プロジェクト(Chandosレーベル)もスタートし、知られざる作曲家の全容がしだいに明らかになりつつある(これまでにCD19枚が既出)。サイモン・ラトルやジョン・エリオット・ガーディナーといった指揮者たちも、グレインジャーの管弦楽曲や合唱曲をレパートリーに含めるようになった。
もっともそれらはすべて遠い異国の話であって、日本にいて生でグレインジャーを聴くチャンスとなると、きわめて乏しいのが現状だ。かつて宮澤淳一さんがピアニストの柴野さつきさんと組んで、2000年から一連の「グレインジャーの夕べ」を開いたことがあったが、それが一段落してからは彼の音楽を実演で耳にする機会は絶えてなくなった。東京は世界有数の音楽都市だと信じきっている人もいようが、この街で聴ける音楽は案外と限られているのである。
ところが、つい先日、わが耳を疑うようなニュースが飛び込んできた。
http://pacificcrossings.com/
この11月、東京でパーシー・グレインジャーの連続演奏会があるのだという。題して「よみがえるパーシー・グレインジャー物語」。作曲家の藤枝守さんが企画するイヴェント「パシフィック・クロッシング」の第二回目として、今年はグレインジャーの音楽がフィーチャーされ、ピアノ曲、2台ピアノ曲、歌曲、おまけにテルミンのための楽曲までが披露される。ピアノ独奏を務めるのはオーストラリア出身のレズリー・ハワード。グレインジャー演奏の権威としてペネロピ・スウェイツと並び称される名手である(豪ABCからCDが二枚出ている)。
おまけに、前々からぜひ観たいと念じていたグレインジャーのスリリングな伝記映画「パッション Passion」(1999)まで上映されるというのだ。小生はそのDVDを所有していながら、リージョン違いで観られずにいたので、なんともありがたいことだ。
今日、プレイガイドではやばやと前売券を入手。まだ猶予期間が二か月以上あるので、購ったはいいが拾い読みしただけのグレインジャーの執筆文集 "Self-Portrait of Percy Grainger" (2006)をきちんと精読しよう。楽しみだなあ。