今日は8月25日。今年もサマークリスマスが巡ってきた。
なぜクリスマスは冬にしかないんだ、夏にあったっていいじゃないか!
こんな理不尽とも身勝手ともつかない理屈を立てて、サマークリスマスなるものを提唱した人物がいた。TBSアナウンサーの林美雄である。早い話、自分の誕生日がたまたま8月25日なので、それをみんなで祝ってくれという、なんともワガママで虫のいい話が発端だったのだが。
小生が林さんの深夜ラジオ「パック・イン・ミュージック」金曜第二部を聴き始めたのは1973年からなので、それ以前のことは知らないが、彼が番組のなかでサマークリスマスのことを言い出したのは1974年になってからではなかろうか。昨日Boe君に訊ねたら、確かにそうだという。なんでもリスナーの投書にそうした趣旨の提言があり、そこから触発されて「夏にもクリスマスをやろう」ということになったらしい。
実はその夏、「パック」第二部は局の都合で打ち切りが決まっていて、せっかくの第一回サマークリスマスも、期せずして「お別れパーティ」めいた催しになってしまった。とはいえ、何か特別なことがあるわけではない。皆で集まって「手つなぎ鬼」でもやろう、という実に他愛ない企てなのだ。ゲストには番組の常連でマドンナ的存在だった荒井由実と石川セリが予定されていた。
会場は東京・代々木公園。当日は台風が接近していたのか、あいにくの悪天候。小雨程度なら決行との話だったので出掛けてみると、すでに数百人の男女が園内にたむろして、今や遅しと開会を待ちかねている。空模様は一向に好転せず、それどころか凄まじい雨風が叩きつけて傘もさせないし、立っているのも辛いくらい。これでは野外イヴェントなどもってのほかだ。
結局、林さんの機転で急遽TBSの空きスタジオに会場を移すことに。風体のあやしい若者たちが大挙して原宿から赤坂までぞろぞろ移動する仕儀と相成った。ちょっとした民族大移動といった趣である。
32年前の出来事なので、この日の詳細はもう忘れてしまった。会場の変更で大わらわだったはずだが、林さんのしゃべりはさすがにプロフェッショナルだけあって冷静沈着、当意即妙だったこと、ユーミンがピアノ弾き語りで「ベルベット・イースター」を、セリが無伴奏で「八月の濡れた砂」をそれぞれマイクなしで歌い、寿司づめ状態のわれわれをいたく感動させたこと。覚えているのはそれくらいだ。
それから28年後の2002年8月25日。われわれは新高輪プリンスホテルの大広間にいた。久しぶりのサマークリスマス。だが、そこにはもう林美雄の姿はない。
この日の主役でありながら、2,500本のヒマワリの花に囲まれ、額縁のなかで微笑むだけの存在となってしまったのだ。「サマークリスマス~林美雄フォーエバー」というのが催しの名。原田芳雄が、山崎ハコが、石川セリが、それからもちろんユーミンが駆けつけて心のこもった熱唱を捧げた。涙なしには聴くことのできない歌たち。とりわけユーミンの「旅立つ秋」は、もともと林さんに捧げた歌だったのだが、こうして聴くとまるでこの日を予見して作ってあったかのよう。
われわれ「パ聴連」の残党(→
7月12日の記事を参照)十数人は、この日まず、思い出の代々木公園に集まって旧交を暖めたのち、午後三時からのお別れ会の末席に連ならせてもらった。大広間をぎっしりと埋めつくす参集者。それは林さんの存在の大きさを如実に物語っていよう。
夕方五時。会はお開きとなった。
「いい会だったね…」「ユーミンも来たね…」「当然だよ…」。会場を出てからも口が重たい。言葉には出さなかったものの、誰もが喪失感の大きさにたじろいでいた。十年ぶり、二十年ぶりに再会した仲間たちと、このまま「それではまた」と別れることが、どうにもできなかったのである。