戦争は人間を鬼畜に変える。飛び交う銃弾に身をさらす者はもちろんのこと、「銃後」を守る者もまた健全な判断力を失い、神懸りに走った。そうでないと「この国」では生きていけなかったのである。
平然と他国を蹂躙し、傀儡政権をつくり、そこに殖民して恥じないファナティックな時代が15年も続いた。正常な神経をもった者にはとうてい耐えられない長さである。
写真家の濱谷浩は疎開先の新潟・高田で終戦を迎えた。
戦時中、対外グラフ誌「FRONT」誌に関わりながら、自らの写真がプロパガンダ用に改竄されるのに嫌気がさした濱谷は、時代にきっぱりと背を向けて生きる道を選んだ。そして、雪深い村々で営まれる昔ながらの生活や年中行事を目にして、「日本人とは?」「日本の文化とは?」という根源的な問いを繰り返していたのである。
ラジオの「玉音放送」を耳にした濱谷は、カメラを手に取ると、いてもたってもいられない気持ちで外へ飛び出す。
雲一つなく晴れわたった空、容赦なくぎらぎらと照りつける陽光。思わず、カメラを頭上の太陽へと向け、シャッターを切った。
こうして「敗戦の日の太陽、高田」という写真は撮影された。忘れがたいエピソードである。