1937 バルトーク:弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽
1940 マルティヌー:弦楽、ピアノ、打楽器のための二重協奏曲
1940 オネゲル:オラトリオ「死の舞踏」
1940 クシェネク:弦楽のための交響的小品
1940 バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント
1942 オネゲル:交響曲第2番
1946 リヒャルト・シュトラウス:変容(メタモルフォーゼン)
1946 マルタン:小協奏交響曲
1947 マルティヌー:トッカータと二つのカンツォーネ
1947 オネゲル:交響曲第4番(バジリアの歓び)
1947 ストラヴィンスキー:弦楽のための協奏曲(バーゼル協奏曲)
1949 マリピエロ:交響曲第6番
1951 ブラッハー:フルート、ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための対話
1952 ヒンデミット:交響曲「世界の調和」
1953 オネゲル:クリスマス・カンタータ
1956 マルタン:弦楽オーケストラのためのエチュード
1960 ブリテン:カンタータ・アカデミカ
1966 ヘンツェ:オーボエ、ハープ、弦楽のための二重協奏曲
1970 武満徹:ユーカリプス
1978 フォルトナー:室内オーケストラのための変奏曲
1986 ルトスワフスキ:ヴァイオリンと管弦楽のための「チェイン」Ⅱ
1989 デュティユー:瞬間の神秘
なんだか20世紀音楽史そのもののような年表だが、これらの楽曲がことごとく、ある一人の男の注文により作曲され、初演されたものだとしたら? これはちょっと凄い現象ではないか。
男の名はパウル・ザッハー Paul Sacher(1906‐1999)。スイスの指揮者にしてバーゼル室内管弦楽団(1926~)とチューリヒ・コレギウム・ムジクム(1941~)の創設・育成に努めた人物である。ザッハーは歴史上おそらく最も富裕な音楽家の一人だった。といっても演奏で稼いだわけではない。彼は1934年にスイスの製薬界の大物、エマヌエル・ホフマンの未亡人マヤと結婚し、膨大な財産を手にしたのである。以来、世界的な医薬品メーカー「フリッツ・ホフマン=ラ・ロシュ」の資本力を後ろ盾に、ザッハーは何不自由ない音楽活動を展開する。
彼はバーゼルとチューリヒをそれぞれ本拠とする二つの室内アンサンブルを率いて、バロック音楽の復興に力を尽くすとともに、同時代の作曲家につぎつぎと新作を依頼し、手兵とともに初演していったのである。上に掲げたリストは、ザッハーの70歳を記念して刊行された「パウル・ザッハーへの感謝 Dank an Paul Sacher」(Atlantis, Zürich, 1976)という書物から、ほんの一部を抜粋(76年以降は補填)したものだが、このほかにヴィリー・ブルクハルト、コンラート・ベック、ノルベール・モレといったスイス人作曲家への委嘱曲も少なくない。
製薬会社の後ろ盾で活躍した指揮者、というと英国のトマス・ビーチャムの名がすぐに想起され、また奥さんの財産で後顧の憂いなく指揮活動ができたというあたりは、ロシア人セルゲイ・クーセヴィツキーのキャリアとも似通っている。新作をつぎつぎに依頼して初演したという点で、ザッハーとクーセヴィツキーとは、20世紀音楽界のパトロンとしてまさに双璧といえよう。大金持の奥方に万歳三唱!
もう一度、最初のリストを眺めていただきたいのだが、バルトークの代表作二曲がひときわ強い光芒を放っているほか、オネゲルの二つの交響曲は傑作だし、最晩年のシュトラウス(スイスに隠遁中)に依頼した「変容」も忘れがたい「敗戦音楽」の逸品だ。ちなみに年号は作曲年ではなく初演の年を表しているが、1940年のクシェネクとバルトーク、47年のマルティヌー、オネゲル、ストラヴィンスキーはそれぞれ同じコンサートで初演された、というのに唖然とさせられる。なんという贅沢三昧だろう!
今年はそのパウル・ザッハーが生まれてからちょうど百年目にあたる。
(つづく)