「幻のロシア絵本 1920‐30年代」展が全国六都市を巡回したのは2004年から05年にかけてのこと。最終会場の下関では昨年12月までやっていたので、企画者としてはつい先日という感じなのだが、東京(目黒の東京都庭園美術館)で開催されてからは、もう丸二年が経過する。あの夏もたいそう暑かったのだが、友人たちを案内して何度もこの美術館に通ったのを、懐かしく思い出す。
今頃になってなぜか、この展覧会時に刊行した出版物が相次いで雑誌に取り上げられている。
*「STUDIO VOICE」八月号の特集「アートブックを楽しむ」
*「デザインノート」No.8の特集「『ブックデザイン』の世界」
紹介されているのは展覧会カタログではなく、稀少なロシア絵本を10冊選んで覆刻した「幻のロシア絵本[復刻版]」(@museum刊、セット価格15,000円)のほうである。「STUDIO VOICE」では子供向けのアートブックとして全冊写真入りで詳しく紹介され、「デザインノート」では、デザイナー秋田寛さんのお仕事の一つとして登場している。嬉しいことだ。
これはロシア絵本に限らないが、展覧会で書籍を展示するのは至難の業だ。というか、むしろ不可能に近い。本は手に取ってページをめくるからこそ本なのであって、展示ケースのなかに閉じ込めると「死んで」しまう。
そこで「幻のロシア絵本」展では、実物と寸分違わぬ覆刻絵本を10種類作って、展示室で実際に手に取ってもらうとともに、売店でも販売することにしたのである。実は当初は20種類ほど制作する計画だったのだが、売れなくて大損するリスクもあるので、このセレクションに落ち着いた。
1. サーカス 1925 詩:マルシャーク 絵:レーベジェフ
2. おろかな子ねずみ 1928 詩:マルシャーク 絵:レーベジェフ
3. 荷物 詩:マルシャーク 1927 絵:レーベジェフ
4. しましまのおひげちゃん 1931 詩:マルシャーク 絵:レーベジェフ
5. 火事 1932 詩:マルシャーク 絵:コナシェーヴィチ
6. あわれなフェドーラ c.1928 詩:チュコフスキー 絵:トワルドフスキー
7. おもちゃ 1928 詩:オルスーフィエワ 絵:ポポーワ
8. 紙とハサミ 1931 絵:ユージン&エルモラーエワ
9. 郵便 1927 詩:マルシャーク 絵:ツェハノフスキー
10. 特別な服 1930 絵:エルモレンコ
5 と8 は吉原治良の旧蔵絵本(芦屋市立美術博物館寄託)、1 は友人の秘蔵コレクション、残りは小生の手許にあるものを原本として覆刻を行った。このほか、マヤコフスキーが詩を書いた「何になるか?」や、影絵絵本「取り替えっこ」、チャルーシンの動物絵本なども候補に挙がっていたのだが、残念ながら最終的には選に洩れた。とはいえ、戦前の日本でいちはやく翻訳されていた絵本を70数年ぶりに復活させた2, 4、1933年に寺田寅彦が絶賛した5、数年前にアニメ映画(1929)が公開された9 など、10冊のラインアップにはそれぞれ深い因縁と思い入れがある。
ひとくちに「覆刻」というが、この時代の絵本(というか挿絵本全般)の多くは石版(リトグラフ)で印刷されており、四色刷りといっても「赤・青・黄・黒」ではなく、例えば「紫・群青・灰緑・茶」のような特色(とくしょく)使いで刷られているため、現行のオフセット印刷でその風合いや色調を再現するのはとても難しいのだ。かつて出た「オズボーン・コレクション」の覆刻絵本など、一見よくできているようだが、19世紀の絵本の現物(石版・木口木版など)と比べてみると、あまりの違いに愕然とする。
今回の覆刻絵本は最先端の印刷技術のたまものである。原本を日本写真印刷の京都工場に運び、大型のデジタルカメラ(部屋全体がカメラである!)で超高精度の撮影を行う。画素数は最大で3億9000万という、とんでもない数字である。これがポイントその一。
そのあとは通常の四色分解(赤・青・黄・黒)にかけるが、オフセット製版時に通常の網点ではなく、肉眼では見えない極小の砂粒状のドットを用い、その粗密で濃淡のニュアンスを再現する。これが第二のポイント。
さらには、原本とつきあわせて、入念な色校正を何度も行う。これが三つ目のポイントだ。ここでは技術者の永年の経験や勘がものを言う。
正直言って、こんなにそっくりでいいものか、と思われるほど上質な覆刻版が出来上がった。世界的にもちょっと例のない仕上がりだ。これで一冊1,500円は安いと思う。なにしろ現物は数万から数十万円もするのだから。
えっ? ロシア語が読めないって? ご安心あれ。鴻野わか菜さんと古賀義顕さんの優れた日本語訳が付いていて、テクストの味わいも充分に汲み取れるはずだ。
どうです、ちょっと欲しくなったでしょう? 今なら東京・銀座の教文館「ナルニア国」で一冊ずつ分売しているので、興味のある方はぜひ。