ゾルターン・コダーイは友人バルトークとともに民謡収集に情熱を傾けると同時に、音楽教育にも並々ならぬ関心を示していた。子供のための合唱曲「ジプシーがチーズを食べる」が書かれた1925年は、コダーイが音楽における幼時教育の必要性を初めて説いた時期にあたっており、それから長い年月をかけて彼は独自の教育システム(いわゆる「コダーイ・メソッド」)の構築へと向かうこととなる。
コダーイの考えた音楽教育とは、ハンガリー民謡を中心に据えた五音音階に基づく系統的な指導であり、ソルフェージュ(聴音・読譜)とともに、アカペラ(無伴奏)合唱に重きが置かれていた。このささやかな無伴奏合唱曲は、民謡と教育とを架橋し、次代のハンガリー音楽を方向づけようというコダーイの瑞々しい意志に貫かれていたのである。
わが国でも、ブダペストから帰国した羽仁協子が1968年に「コダーイ芸術教育研究所」を創設し、コダーイの理念を継承しながら、わらべうたによる幼時教育をめざしたのを嚆矢として、各地にコダーイの名を冠した合唱団や研究団体が続々と組織されていく(札幌、福島、東京・町田など)。
小生が「ジプシーがチーズを食べる」を耳にしたのは、日本にコダーイの教育法が紹介された、まさにその時期だったことがわかる。当時、小生の周囲でこの曲を知る者など誰一人いなかったものだが、今ではわが国の合唱団のレパートリーとしてすっかり定着しているらしく、しばしば演奏会で採り上げられ、上記の福島コダーイ合唱団によるCD録音まである(東芝、1998)。隔世の感とはこのことだろう。
ところで、ハンガリーの音楽家にとってジプシーの存在は計り知れないほど重要だ。そもそも19世紀にヨーロッパ全土でもてはやされた「ハンガリー音楽」なるものは、ほぼ例外なくジプシーたちの音楽だったのである。リストの「ハンガリー狂詩曲」、ブラームスの「ハンガリー舞曲」。フルート好きなら誰でも知っているドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」。サラサーテの至難なヴァイオリン曲「ツィゴイネルワイゼン」、少し時代は下るが、ラヴェルの「ツィガーヌ」。これらの楽曲が標榜する「ハンガリー的なるもの」とは、情熱と憂愁に彩られたジプシー音楽にほかならなかった。
そうではない、「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」の構図は根本的に間違っている、ハンガリーにはハンガリー本来の民衆音楽があるはずだ──このような確信を胸に秘めつつ、各地の村々を訪ね歩いてこつこつ民謡収集に励んだのが、コダーイの盟友にして無二の理解者たるベーラ・バルトークだった。