九歳でキャリアを開始したペトゥラの芸歴はすでに七十六年に及ぶ。トム・ジョーンズもエルトン・ジョンもポール・マッカートニーもミック・ジャガーも、彼女から見ればほんの若輩者の小僧っ子にすぎない。
1964 恋のダウンタウン Downtown
1965 マイ・ラヴ My Love
1966 あなたの愛なくて何の人生 I Couldn't Live Without Your Love
1967 愛のセレナーデ This Is My Song
1967 天使のささやき Don't Sleep in the Subway
極東の島国のラヂオでも彼女のヒット曲が頻繁に流れた。われらの世代で《恋のダウンタウン》や《マイ・ラヴ》をカタカナ英語で口ずさまなかった者はよほど朴念仁だろう。
これは世界的現象であり、"Downtown" を例にとれば、同じ歌をフランス人なら "Dans le temps"、ドイツ人なら "Geh in die Stadt" 、イタリア人なら "Ciao Ciao" として、自国語で唄う彼女の声に聴き惚れた。1960年代とはそういう時代だったのだ。
当時は全く知る由もなかったが、カナダの片田舎で、ペトゥラの歌声に聴き惚れ、酔いしれていた世界的ピアニストがいた。云うまでもなくグレン・グールドである。
もうひとつ付言するなら、稀代の大傑作《天使のささやき》の原題 "Don't Sleep in the Subway" を「地下鉄で眠るな」の意味だと取り違えたのは、田舎の間抜けな中学生だった小生だけではないと思う。
ほどなく彼女は映画界にも進出した(もっとも彼女は前から子役で出ていたが)。ピーター・オトゥールの相手役を務めた《チップス先生さようなら》(1969)、フレッド・アステアと共演した《フィニアンの虹》(1969)などのミュージカル映画で、歌い踊る彼女の姿をスクリーンで目にした愛好者も少なくなかろう。
彼女ほどの逸材をウェストエンドが放っておくはずもなく、1981年にはミュージカル《サウンド・オヴ・ミュージック》再演で主役マリアに扮した(キャスト盤LPが手元にある)ほか、90年代の後半にはロイド・ウェバーの《サンセット大通り》にノーマ・デズモンド役で登場している(これまたCDになっている)。ペトゥラ・クラークはずっと第一線で歌い続けてきた人なのだ。
記念すべきこの日、あの名曲中の名曲《地下鉄で眠るな》、いや、もとい、《天使のささやき》(1967)を皆さんと一緒に拝聴したい。きっかり五十年前の彼女の晴れ姿とともに(→これ)。
トランジスタラヂオから流れてくる《恋のダウンタウン》や《マイ・ラヴ》に心ときめかせていたとき、五十年後の自分がなおペトゥラの歌を愛し続け、そればかりか彼女の新作に耳を傾けることになろうとは、まるきり想像もできなかった。
このひとと同じ半世紀を生きることができて幸せである。