昨日は天気予報どおり清々しい秋日和だった。
かねて目論んだとおり、家人を誘って遠出、在来線を四本も乗り継いで東武伊勢崎線の多々良駅に降り立ったのは午前十一時きっかり。
俄かに空腹を覚えたので道沿いで見つけた蕎麦屋「ことぶき」で早目の昼食。家人は季節の野菜の天麩羅蕎麦、小生は牡蠣蕎麦+ご飯に日替わりおかず一品つき(プラス210円)。これが思いのほか上首尾だった。四個の牡蠣も大ぶりだし、おかずのピーマン肉詰めも良心的。満ち足りた気分で田舎道を歩くこと十五分ほどで目指す美術館が見えてきた。
ここ群馬県立館林美術館はたぶん四度目くらいだが、仕事を離れて愉しみのために来るのは初めてだろう。とにかく遠いが、それだけに素晴らしい環境だ。しかも他に観客がほとんどいないという絶好の場所。先日の上野駅前の美術館とは大違いである。
目指す展覧会は「
鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」。「子供より古書が大事」と喝破し「病膏肓に入る」と自任する鹿島氏の挿絵本コレクションだが、彼が称揚するバルビエ、マルティ、ラブルールらアール・デコ期の挿絵画家になんの興味も覚えない小生には別世界の出来事だと、これまではずっと傍観していたが、本展に限っては無関心ではいられない。
なにしろ今回はフランス絵本。展覧会の前半は鹿島氏のご専門である19世紀の挿絵入り豪華本(ジュール・ヴェルヌの諸作や『レ・ミゼラブル』、エッツェルとフルリックの連作など)。これは後学のために興味深く拝見。当然ながら素晴らしく見応えがある。
後半は19世紀末以降の絵本界の「新しい波」世代。それも
モーリス・ブテ・ド・モンヴェル、
アンドレ・エレ、
バンジャマン・ラビエ、そして
ナタリー・パラン(「ペール・カストール画帖」の代表作家)にめいめい焦点が合わせられている。
いずれも小生が永年ずっと執着してきた画家ばかりなので、とても冷静な鑑賞者ではいられず、居ても立ってもいられない心持ち。この領域ではさすがの鹿島氏も新参者で、ここ十年ほどの蒐集対象だというが、どうしてどうして、ほぼ完璧なコレクションがすでに出来上がっているのに舌を巻く。
家人が一緒なので、あえて口に出して言葉にはしなかったが、会場をへめぐりながら、どうしても拙コレクションと優劣を比較してしまう。蒐集家の悲しむべき習性というべきか。
ナタリー・パランについては完全に小生の負け。鹿島氏はパランの「ペール・カストール」を完集したうえ、マルセル・エメとの『おにごっこ物語』シリーズもすべて揃え、おまけに肉筆下絵やスケッチの類までコレクションしている! 凄いなあ、とても敵わない。
アンドレ・エレについてはさすがに年季の入った小生のコレクションのほうが上である。珍品中の珍品『小さな眠りの精』(フローラン・シュミットの楽譜付き)がここには欠けているし、ドビュッシーの楽譜『おもちゃ箱』の発展形である絵本『おもちゃ箱の物語』もないではないか。
なんといっても、小生はエレの代表作『パタシューの物語
Les Histoires de Patachou』のための肉筆マケット本や、エレが観劇の際に携帯した小型スケッチ帖まで架蔵しているのである(エヘン!)。エレがアルテュール・オネゲル夫妻に贈った献呈辞入りの絵本だってあるのだ(エヘン!)。
バンジャマン・ラビエに関してはほぼ互角だろう。なにしろ多作の売れっ子だったから完全蒐集は至難の業なのだ。それにしても鹿島氏は凄い。ラビエの有名なキャラクター「笑う牛」(チーズの商標として知られる)のポスターは無論のこと、ラビエの図柄をあしらった絵皿や学校教材、はては彼が手がけた草創期のアニメ映画まで蒐めている! いやはやこの病膏肓の徹底ぶりには脱帽である。
そんなわけで、冷静な鑑賞者ではとてもいられなかった。性根を入れ替えて会期中また再訪しよう。同展はいずれ目黒の東京都庭園美術館にも巡回するが、展示面積の都合で規模はぐっと縮小してしまう由。はるばる館林まで赴かねばならないのだ。
帰宅は路線バスで館林駅へ戻り、そこからは往路と同じ道筋を逆順で千葉まで帰宅。車窓から美しい日没や富士山の紫のシルエットが遠望された。帰り着いたら周囲はすっかり宵闇。充実の一日だった。