昨日は上京して上野に赴いた。始まってまだ三日目なので空いているだろうと多寡を括って国立西洋美術館へ赴いたら、切符売場に長蛇の列、ロッカールームにも人だかり。嫌な予感がした。
案の定「北斎とジャポニスム」展の会場はひどく混み合っている。最初のコーナーに並ぶ『北斎漫画』原本類はとても間近には拝めない。そのあとの展示室もごった返していて、版本のたぐいや、装身具のような小ぶりな展示物には近づくのが困難である。この調子だと、会期後半が思いやられる。じっくり丹念に眺めるのはもう無理かもしれない。
日本美術、とりわけ浮世絵が19世紀後半~20世紀初頭のヨーロッパ美術に及ぼした感化については、この美術館で1988年に催された「ジャポニスム」展を嚆矢として「ゴッホと日本」「ロートレックと日本」「ロダンと日本」「ウィーンのジャポニスム」「ガレとジャポニスム」など個別テーマの展覧会が相次ぎ、また専門家たちの研究も日に日に深められた。小生の学生時代とは雲泥の差だ。
本展はこれまでの三十年のジャポニスム研究のいわば総決算として開催される。この美術館の馬渕明子館長がこの分野での第一人者である事実からも、ここでの開催は必然の帰結、なすべくしてなされた企てといえるだろう。
これまでの展覧会がゴッホ、ロートレックなど、常にヨーロッパの芸術家が主体となっていたのに対し、本展では葛飾北斎が主役であり、彼の浮世絵や版本がどのような形で伝播し、かの地でいかなる感化と摂取を引き起こしたのかを実証的に考察する。出品点数は膨大で、欧米作品220、北斎作品80点ほど。すべてを丹念に観ると草臥れ果て、日が暮れる内容だ。
さすがに有無をいわせぬ陣容である。まるで馬渕館長のレクチャーを拝聴しているかのように、ここぞという重要なポイントで、まさに最適な作例が鎮座しているのがなんとも壮観、実に胸のすくような展示である。
一例を挙げるなら「北斎と風景」のセクションで、有名な『富嶽百景』の《竹林の不二》(
→これ)のケース展示の傍らに、モネの《木の間越しの春》(
→これ)や《ボルディゲラ》(
→これ)が並び、ウィーンの美術雑誌『ヴェル・サクルム』の一図(アウヒェンターラーの《装飾的風景》
→これ)や、ポーランド画家ヤスチュシェンボフスキの版画《並木》(ネット上に画像のない稀少作)がさりげなく添えられる。
これらはかねてから馬渕女史が自著や講演で好んで例示する作品群なのだが、実際に展覧会場で並べるとなると至難の業。なにしろパリのマルモッタン、シカゴの美術研究所、京都国立近代美術館、クラクフ国立博物館からの出品を仰がねばならぬ。それをやってのけたあたりに、本展の細部に及ぶ妥協のない意気込みが看取されるだろう。こんな万全な展示、滅多にない!
本展でさすがだと唸らされたのは、対象を印象派からゴーギャン、ゴッホ、クリムト、クビーン、クレーへと連なる画家たちの系譜に留めず、ボルドーの陶器工房の絵皿やエミール・ガレ、ドーム兄弟、ティファニー工房のガラス器などに歴然と顕れる北斎の影響(というか、ほぼそのままのパクリ)を数多くの実例から検証し、ジャンルを超えた北斎画の広範な伝播を有無を言わせず跡づけた部分だろう。
反面、首を傾げざるを得ない展示もあった。
その例は「北斎と人物」なるセクションに集中する。小生の目には笑止千万、噴飯ものとしか思えない。端的な数例をここに挙げておく。
印象派の画家エドガー・ドガが日本の美術に一定の関心を示し、その遺品にも浮世絵版画が含まれていた事実は夙に知られていたが、その実態はよくわかっていない。本展では例えば以下のような作例を並べて展示し、前者(北斎)が後者(ドガ)の発想源(ネタ元)であると断定的に強く示唆する。
1)
『北斎漫画』十二編より 《風呂屋》
→これドガ《背中を拭く女》
→これ2)
『北斎漫画』十一編より
ドガ《踊り子たち、ピンクと緑》
→これ (左右に対比)
3)
『北斎漫画』三編より
→これ *左から四列目、上から三つ目
ドガ《着衣の踊り子のための裸体習作》(彫刻)
→これ4)
『北斎漫画』九編より 《近江国貝津里傀儡女金子
カ力量》
→これドガ《ルーヴル美術館絵画室のメアリー・カサット》
→これさあ、読者諸賢はどう思われただろうか。納得しましたか?
そもそも『北斎漫画』は云ってみれば森羅万象の画像大全なのだから、くまなく探せばたいがいの人体ポーズは見つけ出すことが可能なのだ。似ているといっても類似はおそらく偶然であり、「他人の空似」に過ぎないのではあるまいか。
1)は入浴中の背中というだけでポーズがまるで異なるし、2)も単に両手を腰にあてがうバレリーナがいたというだけの話ではないのか。3)も西洋には古代からある「休め」=コントラポストのポーズであり、そもそも北斎画とは全く似ていない。4)に至っては黒っぽい後ろ姿というのみで、これまた類似性は薄弱だ。
この手の比較は戦後間もない小林太市郎博士の稀代の怪著『北斎とドガ』(全国書房、1946)での所論から一歩も出ておらず、七十年経ってもジャポニスム学者たちは依然このレヴェルなのかと絶望的な気分になる。
この伝でいけば、さしずめラファエッロもルーベンスもレンブラントも、すべて北斎の影響で説明できそうだ。全くどうかしている!
小生が会場で最も吃驚仰天のけぞったのは、次の比較である。
5)
『北斎漫画』初編より 《布袋》
→これメアリー・カサット《青い肘掛椅子に座る少女》
→これどうですか。両者は似てる? 似てない?
御冗談でショ! ちっとも似てね~よ!
いくら浮世絵版画に帰依していたからといって、カサット嬢はソファでくつろぐ少女のおしゃまな姿を瞥見したにすぎず、そのとき肥満した東洋の禿頭爺の仕草が閨秀画家の脳裏にチラとでも掠めたとは思えないのである。
それだけに会場で貰ったこの「早わかり」チラシは罪が重いと言わねばならない。
→PDF会場の織るような人波に疲れ果て、這う這うの体で会場を後にしてロビーの休憩コーナーにだらしなく坐り込んだ。そのときの小生の姿はおそらく北斎の布袋様のポーズそっくりだったに違いない。