1975年6月に大瀧詠一のDJ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ Go! Go! Niagara」がスタートしたとき、その第一回目と第二回目は「キャロル・キング特集」と題され、まるごと彼女の作品に捧げられた。
雑音混じりのラジオ関東に苦労してダイヤルを合わせ、必死に耳を欹てながら、小生はあまりの驚愕に言葉を失ったものだ。
「特集」と銘打たれながら、キャロル・キング自身の歌声は全く聴こえてこない。不滅の名作《ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ》は黒人女性グループ「シレルズ(The Shirelles)」による歌唱、ファースト・アルバムに収められた佳曲《アップ・オン・ザ・ルーフ》は黒人コーラス・グループ「ドリフターズ(The Drifters)」の古いヴァージョンなのだ。
つまり番組ではキャロル・キングの70年代の自作自演は徹底的にオミットされ、その前史にあたる60年代の仕事、すなわち彼女が当時の夫ジェリー・ゴフィンとともに書いたヒット曲の数々――リトル・エヴァが熱唱した《ロコ・モーション》、シフォンズ(The Chiffons)が軽快に歌った《ワン・ファイン・デイ》など――がこれでもかと紹介される。
大瀧さんの解説つきで聴きながら、つくづくわが身の不明を恥じた。キャロル・キングの出自について、自分は何ひとつ知らないも同然だったのだ。
70年代初頭《ライター Writer》《つづれおり Tapestry》など不滅のアルバム群で一世を風靡した彼女の「シンガー=ソングライター」としての貌(かお)は、いわばキャロル・キングの「第二期」に貼られた一面的なレッテルに過ぎず、そのはるか以前から彼女はヒット曲を量産する辣腕のソングライターだったのである。
それらの輝かしい業績を知らずして、キャロル・キングを語るべからず。無類のポップス愛好家として、大瀧さんは周囲のリスナーたちのナイーヴな無知蒙昧によほど業を煮やしたのだろう。「ゴー・ゴー・ナイアガラ」の偏屈きわまる選曲は、それに警鐘を鳴らすための啓蒙活動だったに違いない。
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日比谷の帝国劇場で続演中の《ビューティフル Beautiful》は副題に「ザ・キャロル・キング・ミュージカル」とあるとおり、彼女の前半生を題材とし、ソングライター時代をつぶさに描いた伝記ミュージカルだ(ダグラス・マグラス台本)。
2014年にブロードウェイのスティーヴン・ソンドハイム劇場で幕を開け、翌15年にはウェスト・エンドのオールドウィッチ座でも上演された。どちらの舞台も絶賛され、それぞれトニー賞(主演女優賞、音響デザイン賞)とオリヴィエ賞(主演女優賞、助演女優賞)を受賞している。今回の東京公演は日本人キャストによる日本語上演だが、演出も振付も米側スタッフが監督し、初演の舞台をほぼ踏襲したものだという。
米英での公演レヴューを読む限り、安心して観られるミュージカルだと予想されたが、日本の出演者がどこまで歌い演じられるのか心配だし、台詞は無論のこと、すべての劇中歌(《ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ》も《君の友だち》も《ナチュラル・ウーマン》も!)が日本語の歌詞で歌われるというのに不安が募る。
因みに主役のみダブル・キャストで、水樹奈々、平原綾香のふたりがキャスティングされている。
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家人と妹に同行し、土曜日のマチネー公演に臨んだ。キャロル・キングに扮するのが平原綾香の回だという。妹が先行発売で取ってくれた席は平土間の十三列目の中央。ミュージカルの観劇にはまず絶好の場所というべきか。
物語は作曲家をめざすキャロルが劇作家志望のジェリー・ゴフィンと出逢い、その作詞を得て、次第にティン・パン・アリー界隈で頭角を現すさまを活写する。やがて結婚した鴛鴦チームは当時全盛期だった黒人コーラス・グループに数々のヒット曲をもたらす。ただし、キャロル自身は業界の裏方に徹し、自ら歌手として舞台で脚光を浴びるなど夢にも望んでいない。
自室で、また音楽事務所で。キャロルは出来上がった自作を披露してみせるのだが、「歌唱に自信がもてない」と口にするわりに、キャロル役の平原の歌いっぷりがはじめから堂々と上手すぎるのが難点かもしれない。もっともこれはブロードウェイでもウェスト・エンドでもきっと同様だっただろう。下手な歌唱ではミュージカルの主役は務まらないからだ。
ドリフターズが《サム・カインド・オヴ・ワンダフル》《アップ・オン・ザ・ルーフ》を、シレルズが《ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ》を、リトル・エヴァが《ロコ・モーション》を唄う場面では、アレンジも振付も衣裳も、いかにもそれらしく60年代初頭のスタイルが巧みに再現されていた。リトル・エヴァ役(MARIA-Eという女優)は潑剌と弾けるように唄い演じ、黒人コーラスっぽさもそれなりにサマになっていた。このあたり、東宝が揃えた脇役陣の力量はなかなかのものだ。
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ミュージカルのストーリーは大筋で史実そのままだ。キャロル・キング自伝『ナチュラル・ウーマン』の記述におおむね沿って展開される。作品として面白さとともに、そこに制約もあったと想像される。
彼女がソングライターとして活躍した60年代はポップ・ミュージックの一大転換期にあたっており、ボブ・ディラン、レノン=マッカートニー、サイモン&ガーファンクルの登場により、自作自演による真率な表現が強く求められるようになる。ヴェトナム戦争や人権問題などで苦悩する社会に、能天気なポップ・ソングが対応できなくなるのは、火を見るよりも明らかだ。
60年代後半になるとキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン夫妻の手になるヒット曲がめっきり減少するのは、こうした時代背景からすると不可避の出来事だった。ただし、このあたりの事情はミュージカルでは言及されるものの、むしろあっさりと後景化され、深入りして語られはしない。
その代わり、ここに投入されるのが、彼らの親友で同じくヒット・メイカーを目指すバリー・マン(Barry Mann)とシンシア・ワイル(Cynthia Weil)という実在のカップルだ。もうひと組のソングライター夫婦がコメディ・リリーフ風に物語に絡むことで、主役たちの行動や思惑がいわば相対化されて浮かび上がり、ドラマにいっそうの奥行きをもたらす。このあたり、ブロードウェイ・ミュージカルの作劇術の冴えをみる思いがした。もちろんバリー&シンシアのヒット曲(《愛しているんだもの He's Sure the Boy I Love》や《オン・ブロードウェイ》など)も劇中で歌われる。
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物語は些かの停滞もなく、スピーディにすらすら進む。キング&ゴフィン夫妻がソングライター業で頂点を極めるのも、両者の仲に亀裂が生じるのも、瞬く間の出来事だ。ストーリー展開の淀みのなさがこのミュージカルの長所とも欠点ともいえようか。
休憩を挟んだ第二幕では、夫妻はニューヨークを離れてニュー・ジャージーに転居するが、ふたりの関係はもはや修復不可能だ。ついに離婚したキャロルは失意のなか新天地ロサンジェルスへと旅立つ。
このあたりから、舞台に登場するソングは、単に新作のお披露目というよりも、彼女自身の内心を吐露するための媒体として歌われる。《イッツ・トゥー・レイト》はもう戻らない夫婦仲を嘆き悲しんで、《君の友だち》はニューヨークに残していくバリー&シンシアへの惜別の挨拶として。
そこから先のロサンジェルス時代は、委細を大幅に省略して、ごく簡潔に手短に語られる。
プロデューサーの名伯楽ルー・アドラーの助言と励ましを得て、キャロルは自作を自ら歌ったアルバム《つづれおり Tapestry》の制作にとりかかる。シンガー=ソングライターとしての第二の出発である。
実際にはそれ以前に、彼女は「ザ・シティ」なる三人組グループを結成したり(1968)、ソロとしてのデビュー・アルバム《ライター》(1970)を世に問うたりするのだが、このミュージカルでは経緯が単純化され、話は一気に《つづれおり》録音セッション(1971年1月)へと飛躍する。
精神的にふっきれ、自立した表現者となったキャロルは、録音セッションで《ナチュラル・ウーマン (You Make Me Feel Like) A Natural Woman》を堂々と、声を限りと歌い上げる。感動のフィナーレである。(ゴフィンとの共作になるこの曲を四年前アリサ・フランクリンが歌ってヒットさせた史実は巧妙にカムフラージュされる。)
そのあと暗転し、スポットライトが点ると、舞台にはひとりグランドピアノに向かうキャロル・キング。1971年6月18日、カーネギー・ホールで催されたソロ・コンサートで、彼女は誇りかに《ビューティフル》を歌う。申し忘れたが、実は同じこの場面はミュージカルの冒頭にもあり、これが芝居における「現在」であり、今度こそ本当のフィナーレなのだ。
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今回の日本公演で最も危惧していたのは、歌われるキャロル・キングの曲の日本語訳だった。なにしろ、多くの歌は広く人口に膾炙し、英語以外での歌唱はどうにも受け容れられないだろうからだ。
新たに邦訳を委ねられたのは湯川れい子さん。ヴェテラン中のヴェテランにも、さぞかし荷が重い仕事だったことだろう。プログラム冊子で、彼女はこう正直に告白する。
《[…] 60年代のキャロルも、70年代のキャロルも知っているのだから、その歴史に残る名曲の日本語訳が書けるなんて、なんという幸運! なんという名誉!! と思ったのですが…。
打ちのめされました。難しかった。[…] シンプルな言葉なのに、表情豊かに語るメロディー。伸びやかに、艶やかに、しなやかに歌っている曲の歌詞は実に鮮明で、それを日本語にするとメロディーがスカスカに余ってしまう。あの私の心を掴んで離さなかった名曲たちが、色も匂いも彩りも失ってしまうのです。》
ずいぶん謙虚な言葉だが、実際のところ、どうだったのか。大団円で歌われる標題曲《ビューティフル》の原詞と、彼女の訳詞とを、それぞれ冒頭の二連だけ引かせていただく。
You've got to get up every morning with a smile on your face
And show the world all the love in your heart
Then people gonna treat you better
You're gonna find, yes, you will
That you're beautiful as you feel
Waiting at the station with a workday wind a-blowing
I've got nothing to do but watch the passers-by
Mirrored in their faces I see frustration growing
And they don't see it showing, why do I?
毎朝目が覚めたら 笑顔見せて
世界にあなたの愛を
みんな優しくなって
変わるよ ほらね
美しく変わっていくの
通勤時刻 混み合う駅で
ただ行き交う人を見てる
みんなの顔には フラストレーションが映る
私もそうかしら
大丈夫、湯川さん、心配はご無用。とても良心的な、十二分に忠実な日本語詞ですよ。響きも意味も、客席までしっかり届いていました。
追記)
小生らが観た日(8月19日マチネー公演)の主要なキャストは以下のとおり。
キャロル・キング/平原綾香 *水樹奈々とのダブル・キャスト
ジェリー・ゴフィン/伊礼彼方
シンシア・ワイル/ソニン
バリー・マン/中川晃教
ドニー・カーシュナー(音楽プロデューサー)/武田真治
ジニー・クライン(キャロルの母)/剣 幸 ほか