今日はレオシュ・ヤナーチェクの命日だそうだ。歿後八十九年という半端な年ではあるが、せっかくの記念日なので、数か月前たまたま某オークションで手に入れた稀少なヤナーチェク物件を開陳しよう。
それは1961年にプラハで発売されたシングル盤である。中身はヤナーチェクが晩年に手がけた小さな傑作《わらべ唄 Říkadla》。
その名のとおり、子供のための戯れ唄が十九曲、といってもどれも一分程度の小品(最短は二十秒、最長でも一分半ほど)だから、全曲に要する演奏時間は十五分位しかかからない。男女九人の歌手、木管、コントラバス、ピアノ、打楽器の奏者十人という小編成で奏される(例えば
→これ)。
音楽が醸す鄙びた素朴で味わい、歌詞の滑稽な愉しさもさることながら、小生には何よりもまず、その出自が見逃せない。ヤナーチェクはずっと愛読していた日刊新聞『リドヴェー・ノヴィニ Lidové noviny』紙上でこれらの詩と出逢ったのだといい(歌曲集《消えた男の日記》もオペラ《利口な女狐の物語》も同じだ)、個々の詩にはヨゼフ・ラダ、オンジェイ・セコラらの愉快な挿絵が添えられていたというから、これはもう聴かない訳にいかなくなる。
煩を厭わずに十九曲の題名を書き写しておこう。邦題は日本ヤナーチェク友の会が刊行した『レオシュ・ヤナーチェク声楽曲 対訳全集』(改訂増補版、2008)という重宝な労作に概ね従った。
01. Úvod 序奏
02. Řípa se vdávala 砂糖大根のお嫁入り
03. Není lepší jako z jara 春に勝るものはない
04. Leze krtek podle meze 土龍が畦を這い回り
05. Karel do pekla zajel カレルが地獄行きだとさ
06. Roztrhané kalhoty 破れズボンに
07. Franta rasů, hrál na basu ラス(犬猫捕り)の息子フランタ、バスを弾く
08. Náš pes, náš pes うちの犬が、うちの犬が
09. Dělám, dělám kázání お説教だ、説教するぞ
10. Stará bába čarovala 婆さんが魔法かけると
11. Hó, hó, krávy dó ホー、ホー、牛が行く
12. Moje žena malučičká おいらのちっちゃな女房を
13. Bába leze do bezu おばばがライラックの茂みに潜る
14. Koza bílá hrušky sbírá 白い山羊が梨を集め
15. Němec brouk, hrnce tlouk 気難し屋のドイツ人が鍋を叩き
16. Koza leží na seně 山羊が乾草に寝そべって
17. Vašek, pašek, bubeník ヴァシェク、豚野郎、太鼓叩き
18. Frantíku, Frantíku フランチーク、フランチーク
19. Sedět' medvid' na kolod 熊さん丸太に乗っかってこのたび手に入れたのは、ヤン・キューン Jan Kühn 指揮による《わらべ唄》の世界初録音(1957収録)である。といっても、これは収録時間の限られた七インチのシングル盤だから、表裏あわせても収録されているのは、
02. Řípa se vdávala 砂糖大根のお嫁入り
04. Leze krtek podle meze 土龍が畦を這い回り
05. Karel do pekla zajel カレルが地獄行きだとさ
06. Roztrhané kalhoty 破れズボンに
13. Bába leze do bezu おばばがライラックの茂みに潜る
14. Koza bílá hrušky sbírá 白い山羊が梨を集め
17. Vašek, pašek, bubeník ヴァシェク、豚野郎、太鼓叩き
18. Frantíku, Frantíku フランチーク、フランチークの八曲のみ。すなわち全体の半分にも満たない抜粋盤に過ぎず、しかも手許には同じ演奏の全曲盤(Supraphon 10インチ盤、1957
→これ)がすでにあるので、音源としての有難味はさほど大きくない。
それでもわざわざ落札したのは、もちろん安価だったからだが、もうひとつ、このシングル盤には「小冊子の絵本付き」と、出品者情報に註記されていたからだ。
数日後に届いた現物を見て驚いた。これは絵本付きのレコードではなく、レコードが附録として付く、れっきとした絵本なのである。
その証拠に、青色で覆われたカヴァー(むしろタトウと呼びべきか →これ)には標題 "Říkadla" の上下に作者名「レオシュ・ヤナーチェク」と「ヨゼフ・ラダ」とが平等で記され、版元名 "SNDK" が明記されている。
"SNDK" とは1949年に創設された "Státní nakladatelství dětské knihy" すなわち「国営児童書出版所」のこと(絵本出版で名高い Albatros社の前身)。あくまでも書籍主体として刊行されたことがわかる。
ヨゼフ・ラダが挿絵を描いた《わらべ唄 Říkadla》というと、ラダ好きなら誰しも1955年に同じ "SNDK" から出た経本(折り本)仕立ての同名の絵本(のちに Albatros から再版)を思い出すことだろう(→これ)。
わらべ唄を各頁にひとつずつ配し、それぞれに愉快な絵を添えるところまでは両者は同じだが、唄の数もセレクションも異なっており、今回の絵本は明らかに別物なのだ。「ヴァシェク、豚野郎、太鼓叩き」や「フランチーク、フランチーク」は歌詞の細部が違う異版が採用されているし、「土龍が畦を這い回り」のように同じ唄が選ばれている場合も、イラストレーションは新たに描かれた別の図柄だ。そもそも正方形というフォーマットからして、1955年の縦長の紙面とは異なっている。
かてて加えて、ラダはこれら二冊の絵本に先駆け、1949年にアニメーション映画《わらべ唄》(エドゥアルド・ホフマン監督)にも原画を提供しており、そこでもヤナーチェクの《わらべ唄》から七曲が選ばれ、音楽に合わせて愉快な場面が展開されていた。
話が少々込み入ってきた。ここでラダとヤナーチェク、《わらべ唄》をめぐる制作の経緯を、ざっと時代順に整理してみると、
1922年 この年からプラハの新聞『リドヴェー・ノヴィニ』の日曜版の子供向け附録 "Lidové noviny Dětský koutek" にヨゼフ・ラダ、オンジェイ・セコラ、ヤン・ハーラらの挿絵入りで《わらべ唄(戯れ歌、韻ふみ歌)》が連載される。
1925年 ヤナーチェクの楽譜《わらべ唄》第一版がウニヴェルサル社から刊行される。ラダ、セコラの新聞挿絵も再録。
1927年 同じく第二版(完全版)が刊行。ラダ、セコラ、ハーラらの挿絵を再録。
1928年 レオシュ・ヤナーチェク死去。
1949年 ヤナーチェクの曲集から七曲を抜粋し、ラダの彩色画を用いたアニメ映画《わらべ歌 Říkadla》製作・公開。監督エドゥアルド・ホフマン。音楽監督オタカル・パジーク、指揮ヤン・キューン、ピアノ演奏フランチシェク・マクシアーン。
1955年 ラダの絵本《わらべ唄》刊行(SNDK)。表紙&十一場面。
1957年 ヤン・キューン指揮によるヤナーチェク《わらべ唄》最初のLP録音。
1957年 ヨゼフ・ラダ死去。
1961年 ラダとヤナーチェクの共作絵本《わらべ唄》がシングル盤付きで刊行(SNDK)。表紙&八場面。
1966年 ラダの絵本《わらべ唄》、Albatros社から再刊。
ラダは1957年に亡くなっているので、61年刊行の《わらべ唄》は歿後に出た「遺作」と呼ぶべきものだ。
奥付には "ⒸAlena Ladová 1961" とある。アレナ・ラドヴァーはラダの愛娘で、自らも絵本作家となった。最後の頁の「あとがき」を苦労して読むと、ラダが遺したドローイングに、ラドヴァーが忠実に彩色を施した、という意味の断り書きが記されていた。
1949年にアニメ映画版《わらべ唄》でヤナーチェクとの「共作」を果たしたラダは、同じことをぜひ絵本の形で残しておきたかったのだろう。
若き日に自らが新聞に描いたイラストが霊感源として誕生の契機となった音楽と、最晩年に再会して「共演」できるのは、ラダにとって誇らしい歓びだったと想像されようし、挿絵画家の人生のしめくくりとして真にふさわしい仕事となった。長い円環がこうして閉じられたのだ。