往年のブロードウェイで活躍した名歌手バーバラ・クックが亡くなった。享年八十九というから大往生の部類だろうが、『ニューヨーク・タイムズ』の訃報(→これ)を読むと、アルコール中毒で仕事を失う一時期もあるなど、浮沈の激しい波乱万丈の人生だったらしい。それでも近年まで舞台に立ち、何度もホワイトハウスに招かれるなど、栄光に包まれた晩年を送ったという。
彼女について小生が知るところは甚だ尠いが、バーバラ・クックといえばまず真っ先に思い出されるのが、彼女にとって出世作となったブロードウェイのミュージカル(オペレッタというべきか)《キャンディード》(1956)での歌唱だ。主役キャンディードの恋人クネゴンデに扮し、技巧的なコロラトゥーラ歌唱を難なくこなして喝采を浴びた。
ただし舞台そのものは成功しなかった。むしろ大失敗だった。
ヴォルテール(!)原作、リリアン・ヘルマン台本、リチャード・ウィルバー、ジョン・ラトゥーシュ、ドロシー・パーカー、スティーヴン・ソンドハイムほか作詞、レナード・バーンスタイン作曲という錚々たる布陣で創られながら、(船頭多くしてなんとやらの諺どおり)舞台裏で主導権をめぐる諍いが絶えず、批評も芳しくなく、わずか七十三公演で打ち切りになった。
こうして《キャンディード》は、ブロードウェイ的には「壊滅的な失敗作」となったのだが、バーンスタインの音楽は実に素晴らしく、むしろ部分的には《ウェスト・サイド物語》をも凌ぐ目覚ましい出来映えだった。
幸いにも初演時の「オリジナル・ブロードウェイ・キャスト」録音(→これ)が残されており、バーバラ・クックがいかに巧妙に生き生きとコケティッシュにクネゴンデを創唱したかが、後世の私たちにも手に取るようにわかる。
今日はその貴重な歴史的録音から、クネゴンデが自らの哀れむべき境遇を、健気にコミカルに謳いあげたアリア「着飾って陽気に Glitter and Be Gay」を聴いてみよう(→これ)。
その後、多くのソプラノ歌手がこぞって "Glitter and Be Gay" をレパートリーにしているが、バーバラ・クックほどのびやかに、天真爛漫に歌った者は誰ひとりとしていない。不世出の歌姫のご冥福を祈ろう。