先般ジェフリー・テイトが亡くなったとき、私たちが指揮者としての彼の仕事のほんの一部分しか知り得ないのを嘆いて、些か挑発的なタイトルの追悼記事を書いた(
→私たちにはジェフリー・テイトを追悼する資格がない)。
無知蒙昧を深く恥じた小生はこういう演奏記録を海外に発注した。はるばるギリシアから届いたDVDを視聴して、したたか打ちのめされた。
"Tate in Hamburg"
ディーリアス:
楽園への歩み ~《村のロメオとユリア》
リヒャルト・シュトラウス:
四つの最後の歌*
ペーター・ルジツカ:
五つの断章
シューベルト:
交響曲 第七番《未完成》
ソプラノ/ニーナ・シュテンメ*
ジェフリー・テイト指揮
ハンブルク交響楽団2009年5月12日、ハンブルク、ライスハレ(実況)
Rondeau ROP5002 (DVD, 2011)
→パッケージ・デザインこのDVDに心惹かれたのは生前のテイトの指揮姿が拝めるという興味のほか、収録年度が今から八年前と新しく、彼の晩年(と云わねばならぬのが悲しい)の進境ぶりがつぶさにうかがえるだろうと予測したからだ。もうこの時期の彼はレコード会社との縁が完全に切れ、ハンブルクやイタリア各地での活躍ぶりがCDに刻まれることがなかったのである。
かてて加えて、本盤には一夜の演目が丸ごと収録されており、彼のプログラム・ビルディングのなんたるかがわかる。しかもディーリアスの《
楽園への歩み》とシュトラウスの《
四つの最後の歌》という小生の鍾愛の曲がふたつながら奏されており、これらを含め、この晩の四作品はこれまでテイトのディスコグラフィには含まれていないものばかり。《未完成》すら正規録音がないのは不思議でならないが、それだけ彼がレコード業界から冷遇された悲しい証しでもあろうか。
冒頭の《楽園への歩み》でいきなり惹き込まれる。なんという深々としたディーリアスであろうか。ドイツ風の渋く堅実な響きのなかに、切々たる思いがこみ上げ、悔恨と寂寞と死への憧憬が綯い交ぜになって、緩やかな波のように寄せては返す。凡百の指揮者にはちょっと真似のできない解釈だ。
ニーナ・シュテンメにはアントニオ・パッパーノ指揮による《四つの最後の歌》の正規録音がEMIにあり(2006)、それと聴き比べたわけではないが、ここでの彼女はまことに堂々と、申し分のない声を披露している。
前半の《春》と《九月》はやや軽めに、さらりと歌い流し、続く《眠りに就こうとして》で俄かに深く沈潜し、終曲《夕映えに》で人生の核心に触れる、という流れはこの四つの歌の配列が要請するところであり、シュテンメの歌唱も、テイトの指揮も、この起承転結に抗わず、ごく自然に瞑想的な心の旅路へと導く。この音楽もまた、もうひとつの「楽園への歩み」であるかのように。
(まだ書きかけ)