どういうわけか一日おきに外出が続いている。神経痛なのだろうか、右脚に鈍い痛みがあり、歩くと違和感があり辛いのだが、所用があるのだから致し方なし。
6月13日(火)
すっきりしない空模様を気に懸けつつ家人と同道。三本の電車を乗り継ぎ常磐線の北小金駅で下車。遥か昔に知人宅を訪ねて以来だから四十年ぶり位か。当然ながら街の記憶は全くない。駅を背に同方向を目指す人たちに従って歩くと、やがて並木の植わった立派な参道になり、しばらく進むと目的地の本土寺に着いた。ここは名にし負う「紫陽花寺」、善男善女たちはこれを目当てにこの寺を詣でるのだ。拝観料五百円也を払って境内に入るとたちまち紫陽花。うまい具合に地面に傾斜がつき、斜面に植えられた色とりどりの花々が咲き始めたところだ。ここの寺域は思ったよりも広く、しかも起伏のある立地なので、眺めがすこぶる変化に富む。ほうぼう廻りながら坂を下ると池があり、そこには無数の花菖蒲が今を盛りと咲き競う。歴史が古いわりに由緒ある堂宇をもたない寺だが、この紫陽花と花菖蒲の競演はその欠を補って余りある。これだけ広い境内の植栽を丹精するのは並大抵の努力では済まないだろう。寺を後にしたらそろそろ昼食時。にわかに空腹を覚え、参道沿いに見つけたネパール料理店「バルピパル」へ。ランチのカレー各種はどれもまずまず美味だったが、給仕の手順が明らかに不慣れ。聞くとつい一昨日に開店したばかりなのだとか。そのあと家人は更に散策を続けたい面持ちだったが、いつ雨になるかわからないのと、右脚が少し痛むのとで、そのまま帰路に就いた。次に来るのは来年か。そのときカレー屋はまだあるだろうか。
6月15日(木)
上野のヨドバシカメラへ。故障したわがPCを診断のため預けておいたのだ。先般の桑野塾での発表の直前だったので大いに肝を冷やしたものだ。幸いデータ救出はできたが、PC本体のシステムがダメージを受けており、復旧に数万円かかるというので、修理を断念する。いやはや五年で壊れたのは早いのか、そんなものなのか。その間にせっせとブログをしたため、論文やライナーノーツを書いたのだから、これでよしとしよう。そのあと東京都美術館でブリューゲル《バベルの塔》を中心とする展覧会を観たが、一向に愉しめなかったのはPCロスの影響なのか。
6月17日(土)
早稲田へ。いつもと同様「お食事処 たかはし」でいつもどおり煮魚定食「銀むつ煮付」を食する。ほろほろ身がほぐれて美味なことといったら。副菜がいろいろ付くのも良心的だ。そのあと腹ごなしに演劇博物館へ赴き「テレビドラマ博覧会」という展覧会を観る。《七人の刑事》《寺内貫太郎一家》《北の国から》《あまちゃん》《トットテレビ》・・・誰にとっても思い出深いTVドラマの歴史を回顧する趣旨なのだが、展示内容はお定まりのシナリオ、ポスター、わずかばかりのスチル写真といった塩梅で、とても往時のワクワク感は蘇らない。もやもやした隔靴掻痒の思いが募るばかり。最大の目玉たる幻の《お荷物小荷物》(1970)の現存唯一という最終回の映像をまるごと視聴できたのは嬉しいが、この回だけでは噂の破天荒なドラマづくりは想像できない。この回に関する限り、ほぼ同時期の《天下御免》の面白さには遠く及ばない気がした。二時半になったので辞去し、喫煙室で一服すると十六号館の八階「桑野塾」教室へ移動。今回は高橋健一郎さんの「ロシア・モダニズム音楽におけるジャポニスム~ストラヴィンスキーとルリエーの和歌歌曲を例に」と平野恵美子さんの「バレエ《魔法の鏡》と1900年代ロシア帝室劇場における変化」という強力な二本立。いずれも別の場所で同内容の発表に接しているので驚きはなかったが、20世紀初頭のロシア文化に肉薄する若手研究者がこの国にも出現したという歓びを新たにした。もはや老ディレッタントの出る幕はない。
6月18日(日)
ケックランの《ジーン・ハーロウの墓碑》、デクリュックのサクソフォーン・ソナタ、プーランクのフルート・ソナタ、ソーゲの《フロンザックのための三声のコンセール》という興味深いプログラムの室内楽リサイタルがある。ケックランの小品は半世紀近く前に魅せられた逸品だし、デクリュック、ソーゲは滅多に耳にしない珍品、プーランクのソナタは永く鍾愛の音楽だ、これを聴き逃す手はない。ただし会場が遠く茨城の那珂だそうで、水戸より更に遠方らしい。どうしようか逡巡していたら同好の士が車を出してくれるという。難有くお誘いに応じて石黒さんの自家用車に同乗、ご家族とともに一路常磐自動車道を北上した。一時間半ほどで到着、まずは会場に近い「キャロッツ」というレストランで昼食。お奨めに従い海老フライとハンバーグの盛り合わせ定食を註文、サラダバーも所望した。海老の巨大さにたじろぎ、二百五十グラムのハンバーグに四苦八苦しながら完食。ハンバーグの旨さはさすが常陸牛だ。演奏会は「アトリエ浅田」という小ぢんまりした私的サロン兼ギャラリー。三時からの演奏会は "
à la française" と題され、奏者は「アンサンブル・シェルシェ」を名乗る妙齢の三女性(sax/谷津香織、fl/中田由紀乃、pf/千葉博美)。当然ながら演奏内容には甲乙があり、プーランクは小生には些か承服できかねる解釈だったが、三人が揃って奏したケックランとソーゲは申し分ない出来映え。はるばる地の果てまで聴きに来た甲斐があった。帰宅は夜の八時。
6月20日(火)
気持ちよく晴れた朝。今年は空(から)梅雨の気味がある。路線バスと京成電車を乗り継いで千葉大学キャンパスへ。十一時前に到着。正門を入って少し行くと図書館の建物が見える。数年前にできた目新しい建物だ。おそるおそる足を踏み入れ、開催中の企画展「ニキータ・アレクセーエフ 岸辺の夜」を覗いてみる。少ししたら学生の一群が現れ、ほどなく鴻野わか菜先生も登場。なんでも授業の一環として作品解説をするのだという。これ幸いと片隅で盗み聞き。展示作品《岸辺の夜》は本展のためのオリジナル。詩的なイメージを絵巻状に連ね、それぞれに短文を添えたもの。ほぼ同内容の縮小ヴァージョン、各場面を単独に描いたものなど、複数の作品が細長い空間に配されたインスタレーション。黒い紙に描かれたイメージは童話の場面さながらの純真さを醸し、添えられたテクストも宮沢賢治、日本の「箒木」伝説、エミリー・ディッキンソンらの断片らしい。作品の設置場所が図書館であることに因んだテクスト選択なのだという。矯めつ眇めつ眺めながら、なるほどなあと頷く。懇切な解説が聞けて得した気分。作品は展示空間と見事に調和しており、展示には学生たちが助手として関わったそうな。しばし鑑賞後レストランで選りどり見どりブッフェ定食を味わったあと図書館に戻り、展示に隣接した階段状の小スペースで鴻野先生のレクチャー「南極で美術は可能か? 第1回南極ビエンナーレに参加して」を拝聴。ロシアの美術家アレクサンドル・ポノマリョフの発案で実行された「南極ビエンナーレ」とは世界各地のアーティストたちが一艘の船をチャーターして南極大陸へ上陸し、そこで各自作品を展示発表するという企て。ビエンナーレ(二年毎の美術展)とはいうものの、誰も観に行けず、鑑賞者はペンギンと海豹だけという破天荒な展覧会だ。だが参加者たちは大真面目、船酔いと悪天候に苦しめられながら十数日間を航海を乗り切った。研究者としてこの企てに参加した鴻野さんの口から語られる報告のなんと面白いことよ。昼休みの三十分間の無料講座。学外の者でも自由に聴講できる。終了後、今日はこれで退勤されるという先生とJR総武線でお茶の水まで同道、四方山話を愉しんだ。
6月22日(木)
6月24日(土)
(まだ書きかけ)