「何もなし!」ピーターの声に従って、みんな部屋からぞろぞろと出ていった──ルーシー以外は。ルーシーは、衣装だんすの扉はきっと鍵がかかっているだろうと思ったけれど、もしかして開くかどうか試してみようと思って部屋に残ったのだった。意外なことに、衣装だんすの扉は簡単に開き、虫よけの樟脳玉が二個こぼれ出てきた。
衣装だんすをのぞいてみると、コートがたくさんかかっていた。ほとんどは丈の長い毛皮のコートだった。ルーシーは毛皮のにおいと感触が何よりも好きだったので、さっそく衣装ダンスの中にはいりこみ、コートのあいだに分け入って、毛皮に頬をすりつけた。もちろん、たんすの扉は開けたままにしておいた。衣装だんすにはいりこんで扉を内側からぴったり閉めるなんて、馬鹿な子のすることだと知っていたからだ。衣装だんすの奥へはいっていくと、一列目の後ろに二列目のコートがかかっていた。そのあたりはほとんどまっ暗で、ルーシーはたんすの背板におでこをぶつけないように両手を前に伸ばしたかっこうで進んでいった。もう一歩進み、そしてもう二、三歩進んだ。そろそろ指先にたんすの板がさわるはずだと思いながら進んでいったのだが、指先には何も触れなかった。言わずもがな、C・S・ルイスの《ナルニア国ものがたり》の第一巻、冒頭の数ページ目に出てくるマジカルな一節である。このあとルーシーはひとりで衣装箪笥を通り抜けて「異界」=ナルニア国へと足を踏み入れ、そこから子供たちの壮大な冒険物語が始まる。
だが、まてよ、何かが少し違う、この文章にはどこか違和感があるぞ、と感じられた方には、次の一文をお読みいただこうか。
「ここには、何もなし!」とピーターがいって、みんなは、どやどや、部屋を出ていきました。が、ルーシィだけが残りました。そのたんすに鍵がかかっていることはまずたしかだとは思いますが、ドアをあけてみるくらいは、やってみるねうちがあると思って、ひとりだけふみとどまったのです。ところがおどろいたことに、ドアはいともかんたんに、あくではありませんか。あけたひょうしに、ぽろぽろと、しょうのう玉が二つ、ころがりでてきました。
なかをのぞくと、外套がいくつも、つるさがっています。たいていは、長い毛皮外套です。ところで、ルーシィにとって、毛皮のにおいをかいだり、毛皮にさわったりするほどすきなことはありませんでした。ですからルーシィは、すぐさま、衣装だんすのなかにはいって、外套のあいだにわりこむと、毛皮に顔をすりつけました。もちろん、たんすのドアはあけっぱなしにしておきました。戸をしめるのが常識はずれなことは、ルーシィも知っていました。ルーシィはすぐに、もうすこしなかにふみこみました。すると、はじめの一列のうしろに、二列めの外套がぶらさがっているのがわかりました。二列めは、もうまっくらなものですから、ルーシィはそのさきのたんすのうしろがわに、おでこをぶつけないように、手をのばしておきました。そして、もうひと足ふみこみ、──さらに二足三足、なかへはいりました。きっと指さきが、うしろの板じきりにさわる、と思ったのですが‥‥‥さわりませんでした。
そうだそうだ、これこれ、やっぱりこうでなくちゃ、と頷かれる向きも少なくなかろう。《ナルニア》といえば名調子の「ですます」調、「ルーシー」でなく「ルーシィ」、箪笥の中身も「コート」でなく「外套」なのだ。われら1966年このかた永く瀬田貞二訳に親しんできた(八歳下の妹は「産湯をつかった」と云うだろう)古株読者にとって新訳など今更もってのほか、という思いを禁じ得ない。
C・S・ルイスの著作権が切れたのを潮に、光文社古典新訳文庫から《ナルニア国物語》の新訳が出始めた。今回は原本の刊行順ではなく物語の年代順、すなわち『魔術師のおい』からの刊行という。それも一理ある考え方だ。そして出た二冊目がこの『ライオンと魔女』、もとい『
ライオンと魔女と衣装だんす』。英題 "The Lion, the Witch and the Wardrobe" に準拠した邦題も、まあ、よかろう。
今度の翻訳者は土屋京子という人。1956年生まれというから、小生と妹のちょうど中間の世代。これまでに『あしながおじさん』『秘密の花園』『仔鹿物語』『トム・ソーヤ―の冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』を手がけたという。いわば古典新訳のヴェテランなのだ。して、その首尾は如何に?
「
大人でも楽しめるように、従来の日本語訳よりは少し大人っぽい文章で訳した」とは訳者の弁。なるほど、きびきびした「だ、である」調の《ナルニア》は小気味よく、それなりに読ませる。これが本邦初訳だったらなんの問題もなかろう。
だがしかし、瀬田貞二訳とこうして並べると、勝負は自ずと明らかになる。
ピーターの一声で兄弟たちが退場し、部屋にルーシーだけが残る。そのくだりで「
みんな部屋から出ていった──ルーシー以外は。」と(原文そのままに)訳したあと、次の文をまた「
ルーシーは、衣装だんすの・・・」と名前を繰り返すのが些か煩わしい。瀬田訳ではここを「
が、ルーシーだけが残りました。」とあえて敷衍し、続く文章から主語を省いている。ちょっとした工夫だが、これが淀みない自然な日本語の流れを紡ぎだす。
そのあと、ルーシーが試すと箪笥の扉が呆気なく開くくだり。原文はこうだ。
To her surprise it opened quite easily, and two moth-balls dropped out.
意外なことに、衣装だんすの扉は簡単に開き、虫よけの樟脳玉が二個こぼれ出てきた。即物的なまでに正確な逐語訳なのは結構だが、ここを瀬田貞二はこう訳す。
ところがおどろいたことに、ドアはいともかんたんに、あくではありませんか。あけたひょうしに、ぽろぽろと、しょうのう玉が二つ、ころがりでてきました。ほらね、やっぱり、こうでなくっちゃ!──胸の奥底で、読者だった半世紀前の自分がキッパリそう断言する。「
あけたひょうしに、ぽろぽろと、」は原文にはなく、あらずもがなの補足、いわば勇み足なのだが、それがかえって奏功している。思いがけない驚きの表明こそが肝心なのだ。
次の段落をみても、両者の違いは明らかだ。新訳が「衣装だんす」という語をしつこく繰り出すのに対し、瀬田訳は意識的に同語反復を避け、文章がくどくならぬよう修辞に細心の注意を払っている。
もうひとつだけ例を挙げるならば、最初に掲げた引用箇所の末尾。ルーシーが衣装箪笥のなかで歩を進める場面だろう。
She took a step further in -- then two or three steps always expecting to
feel woodwork against the tips of her fingers. But she could not feel it.
もう一歩進み、そしてもう二、三歩進んだ。そろそろ指先にたんすの板がさわるはずだと思いながら進んでいったのだが、指先には何も触れなかった。これはこれで正確な訳文としては及第点がつく。でもね、なんというか、怖いほどのゾクゾク感がまるで希薄なのだ。
そして、もうひと足ふみこみ、──さらに二足三足、なかへはいりました。きっと指さきが、うしろの板じきりにさわる、と思ったのですが‥‥‥さわりませんでした。ううむ、巧い。「
さわる、と思ったのですが‥‥‥さわりませんでした。」──この「
‥‥‥」が効いている。これこそ邦語訳の工夫のしどころなのだ。
そんなわけで訳文にイチャモンをつける結果になったが、この新訳にも取り柄はある。白い魔女が意志薄弱な少年エドマンドをたぶらかすため差し出す旨そうな菓子「ターキッシュ・ディライト(turkish delight)」をば、瀬田貞二訳『ライオンと魔女』ではあえて全然これとは異なる「プリン」と訳出していた。この意図的な「誤訳」については瀬田自身が「訳者あとがき」で弁解している。
[...] またなじみのない品物、たとえばターキシュ・ディライトという菓子などは、ことさらにまったくちがったプリンに移しかえたことがある点は、ことわっておきましょう。今回の新訳で、不思議な響きを醸す菓子名はめでたく「
ターキッシュ・デライト」と表記された。何度目かの訪英時、たまたま訪れたセルフレッジ百貨店でこの菓子を見つけ(
→これ)、狂喜乱舞した思い出のある小生は、この訳語変更により積年の胸の閊えが降りた心地がした。
ただし、その一方で、これは第一巻『魔術師のおい』の登場人物名だが、主人公の伯父を「アンドリュー」としたのは、なんともいただけない。これは瀬田訳が厳格に「アンドルー」と表記したのが正しく、半世紀後の一歩後退である。
最後に、今回の光文社古典新訳文庫では、著作権のあるポーリン・ベインズの挿絵が収録できず、なんとかいう日本人イラストレーターの拙劣な絵がほうぼうに差し挟まれた。これが好きだという方には申し訳ないが、どう贔屓目に見ても原本の挿絵とは月と鼈、比較にもならない屁みたいな出来で、まさしく「ない方がまし」。小生は挿絵のある箇所に差しかかるや目を逸らし、そのつど素早くページを捲ったものである。
引用の出典は以下のとおり。
C・S・ルイス
土屋京子訳
ナルニア国物語②
ライオンと魔女と衣装だんす
光文社古典新訳文庫
2016年
15~16頁
C. S. ルイス
瀬田貞二訳
ナルニア国ものがたり 1
ライオンと魔女
岩波書店
1966年
14~15頁