寝坊気味に遅く起きてPCを点けると、ジョルジュ・プレートルの訃報が届いていてハッと覚醒する。1924年生まれの指揮界の長老だが矍鑠としてタクトをとり、秋には元気にウィーン交響楽団を振ったばかり。昨年の8月14日の誕生日にお祝いの記事を書いたのも記憶に新しい(→プレートル翁の九十二歳を寿いで)。
小生がプレートルを知ったのは1967年。きっかり半世紀前のことだ。プーランクのバレエ組曲《牝鹿》の目の醒めるような快演をラヂオで聴いたのが契機だった。1970年春には東京で彼が指揮した演奏会も間近に聴いた。ただし実演に接したのは後にも先にもこれ一回だけ。
その後はレコードで時おり接する程度の不熱心な聴衆に留まった。ウィーン・フィルとの2008&10年ニューイヤー・コンサートで老練な指揮ぶりが称賛されても、ウィーン響との実況録音がいろいろCDになっても、小生はさして心にかけなかった。だから追悼文を綴る資格なぞありそうもない。
それでも何かしら書かずにはいられないのは、生で聴いたそのパリ管弦楽団との一夜があまりにも素晴らしかったからだ。
ラヴェルの《マ・メール・ロワ》、ピアノ協奏曲(独奏=アレクシス・ワイセンベルク)、そしてムソルグスキー=ラヴェルの《展覧会の絵》をプログラムに組んだ魅惑の夕は、それまで耳にした在京楽団の演奏を一気に顔色なからしめた。とにかくすべての楽器が芳醇な色彩と比類ないニュアンスを湛え、官能的というほかない音楽を紡ぎだしていた。子供心にもその凄さは身に沁みた。
プレートルの棒はやや直截的で、ぶっきらぼうなところもあったが、この名手揃いの若い楽団を巧みに導いて、精緻な音のブレンド配合を創り出していたと思う。海外オーケストラを初めて生で聴いた昂奮は、永く小生の記憶に留まり続けた。四十七年後の今もまだ耳の奥底で霊妙な響きが鳴り続けているような気がするほどだ。
そんな遠い記憶の残響を慈しみながら、手元に僅かばかりある彼のディスクをかき集めて、ささやかなプレートル追悼演奏会を催そう。
"Poulenc-Cocteau/La Voix humaine -- Migenes/Prêtre"
プーランク:
《人間の声》
ソプラノ/ジュリア・ミゲネス
ジョルジュ・プレートル指揮
フランス国立管弦楽団
1990年2月、パリ
Erato-Musifrance 2292-45651-2 (1991)
→アルバム・カヴァー十年前の拙レヴュー──Erato とラディオ・フランスの共同製作。35ミリ・フィルム版も同時に作られた。映画《カルメン》のジュリア・ミゲネス人気にあやかった企画だろうが、ミスキャストの気配が濃厚。初演の指揮者プレートルはさすがに堂に入った指揮ぶりだが、それすら却って空しい。この盤は「無かったことにしよう」──はちょっと言い過ぎだった。久しぶりに聴いて、「これはこれで悪くない」と思い直した。創唱者デュヴァルと比較してはミゲネスにちょっと気の毒だろう。
"Francis Poulenc: Créations mondiales et inédits"
プーランク:
《モンテカルロの女》
「違うの、御亭主様」 ~《ティレジアスの乳房》
ソプラノ/ドニーズ・デュヴァル
ジョルジュ・プレートル指揮
フランス放送国立管弦楽団1961年12月5日、パリ、シャンゼリゼ劇場(実況)
INA mémoire vive IMV 092 (2013)
→アルバム・カヴァーそうなるとドニーズ・デュヴァルが無性に聴きたくなる。ただし《人間の声》ではなく、その舞台の成功を受けてプーランクが彼女のために書いた《モンテカルロの女》を。デュヴァルの早すぎる引退のため、録音は存在しない──はずだったのだが、近年INA(国立視聴覚研究所)のアーカイヴ音源が発掘され、めでたくその世界初演の実況録音が世に出た。デュヴァルの歌唱もプレートルの指揮もプーランクの新作を完全に自分のものにしている。この二枚組CDで間違いなく白眉の演奏だ。
"Matrix 2 -- Jongen: Symphonie concertante etc."
ジョゼフ・ジョンゲン:
協奏交響曲 作品81
オルガン/ヴァージル・フォックス
ジョルジュ・プレートル指揮
パリ国立オペラ座管弦楽団
1961年7月、パリ、アンヴァリッド
EMI CDM 5 65075 2 (1994)
→アルバム・カヴァーこうなるとプレートルのプーランク録音の数々を聴きたくなるが、ぐっとこらえて彼としては異色なベルギー音楽を。ジョンゲンについて小生の知るところは尠いが、この協奏交響曲(1926)はフランス音楽とも親和性があり、名技主義的なオルガンの書法と相俟って、なかなか聴き応えある楽曲だ。米人フォックスのパリ録音が実現し、プレートルが起用された経緯など、寡聞にして知らないが、一聴に値する興味深い録音だ。これまで聴かずにいたのは宝の持ち腐れだったと深く反省。
"Debussy/Caplet/Schmitt"
ドビュッシー:
歌劇《アッシャー家の崩壊》(未完)*
カプレ:
幻想物語《赤死病の仮面》**
フロラン・シュミット:
《幽霊宮》のための練習曲
ソプラノ/クリスティーヌ・バルボー*
バリトン/フランソワ・ル・ルー*
バス・バリトン/ピエール=イーヴ・ル・メーガ*
バリトン/ジャン=フィリップ・ラフォン*
ハープ/フレデリック・カンブルラン**
ジョルジュ・プレートル指揮
モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団1983年6月13~16日、モンテカルロ、サル・ガルニエ
EMI France 7 64687 2 (1993)
→アルバム・カヴァーLP時代から愛聴久しい名盤。ドビュッシーがエドガー・アラン・ポーの怪奇小説に題材を得た未完のオペラの、これが世界初録音ということから興味津々で聴き入ったものだ。本ディスクがことさら素晴らしいのは、このオペラに加えて同時代フランスのアンドレ・カプレ、フロラン・シュミットがやはりポーに取材した秘曲をも併せて収録しているところである。よほど知恵者のプロデューサーがいたのだろう。これは数あるプレートルの遺産のなかでも、一連のプーランク録音に次ぐ目覚ましい成果といえよう。それにしても、彼ほどキャリアの長い名指揮者が自国の楽団を振ったドビュッシー録音が、これ以外には《牧神の午後への前奏曲》しか存在しないのは残念の域を通り越して、というかむしろ奇異な感すらする。実況録音が残る《ペレアスとメリザンド》音源がいずれ日の目を見ることを願ってやまない。
《ダンディ/交響詩"海辺の詩""地中海の二部作"》
ヴァンサン・ダンディ:
交響詩《海辺の詩》作品77
■ 静寂と光
■ 藍色の歓び
■ 緑の水平線
■ 大洋の神秘
交響詩《地中海の二部作》作品87
■ 朝の太陽
■ 夕べの太陽
ジョルジュ・プレートル指揮
モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団1985年6月27日~7月1日、モンテカルロ
東芝EMI CC33-3838 (1988)
→アルバム・カヴァー上の「ドビュッシー/カプレ/シュミット エドガー・アラン・ポー」アルバムに続き、プレートルがモンテカルロ・フィルを率いて録音したダンディ・アルバム。一般には「山の作曲家」として認知されるヴァンサン・ダンディがやがて南仏に居を移し、地中海を主題とした「海の作曲家」へと転身した事実を明らかにした好ディスク。モナコの楽団と録音するのに相応しい好企画であり、演奏水準も頗る高い。
"Saint-Saëns/Symphonie No. 3 etc./Alain/Prêtre"
サン=サーンス:
交響曲 第三番*
交響詩《ヘラクレスの青年時代》
オルガン/マリー=クレール・アラン*
ジョルジュ・プレートル指揮
ウィーン交響楽団1990年5月、ウィーン、コンツェルトハウス 大ホール
Erato-Musifrance 2292-45696-2 (1991)
→アルバム・カヴァー久しくパリ楽壇と距離をおいてきたプレートルは80年代からウィーン交響楽団との結びつきを深め、独墺レパートリーを盛んに指揮したが、その傍らサン=サーンスの《オルガン付き》交響曲でパリの楽団に勝るとも劣らぬフランス的な音色を響かせた当ディスクは出色の出来映え。わざわざフランスから名匠マリー=クレール・アラン女史を呼び寄せて共演に及んだのも、並々ならぬ意気込みの表れだろう。
《プレートル 牝鹿/世界の創造/狼》
プーランク:
バレエ組曲《牝鹿》
ミヨー:
バレエ音楽《世界の創造》
デュティユー:
バレエ音楽《狼》
ジョルジュ・プレートル指揮
パリ音楽院管弦楽団1961年10月17、18、25、26日、パリ、サル・ワグラム
EMI TOCE-16030 (2011)
→アルバム・カヴァー忘れもしないプレートルとの出逢いの一枚。《牝鹿》冒頭の、一点も曇りなき晴れやかさこそはプーランクとプレートルが一体となり奏でる「青春の音楽」そのものだ。繰り返し再発売されてきた名盤中の名盤だが、今日は初出LPと同じ、マリー・ローランサンの装画ジャケット(カッサンドル作のペーニョ書体を用いたデザインはアトリエ・ジューベールによる)を用いたEMIミュージック・ジャパンのCDで。