勤め人ではないから、年末も年始も関係ない。年の瀬にさしたる用事もなかりせば、家人に誘われるまま上京。なにしろ抜けるような青空、陽射しもほどよく、ちょっと小春日和めいた暖かい日なのだ。
JRと地下鉄を乗り継いで千駄木へ。ちょうど昼飯時なので団子坂を上りきったところで見つけた蕎麦店「巴屋」の暖簾を潜る。ここはずいぶん前に友人たちと来たことがある。家人はおかめ蕎麦、小生は穴子天丼とかけ蕎麦のセット。いかにも市井の蕎麦屋らしい気取らない雰囲気、天麩羅の揚げ具合こそ今ひとつだが、蕎麦そのものは質も量もまずまず満足した。
店の前の信号を渡り、坂を少し引き返すとそこは「観潮楼」跡地に建つ「文京区立森鷗外記念館」だ。2012年に開館してから何度も前を通りがかるも、定休日だったり展示替休館だったりで、中へ入るのは家人も小生も初めてだ。年内は今日までというので出向いてみた次第。
まだ真新しいコンクリート打ち放しの館内をまず地下の展示室へ。年代を追って丁寧に森鷗外の生涯を辿った常設展示に続いて、コレクション展「賀古鶴所という男──一切秘密無ク交際シタル友」を拝見。賀古鶴所(かこつるど)について小生の知るところはあまりに尠いが、鷗外の生涯の友にして遺言(例の「余ハ石見人 森林太郎トシテ死セント欲ス」という文面)の筆記・遂行役を託された人物で、日本の耳鼻咽喉科の草分けの医学者という。地味なうえにも地味な展示だが、それでも明治の知識人同士のこまやかな友情には心打つものがある。もうひとつ、ミニ企画展示「没後100年 上田敏『海潮音の韻(ひびき)──上田君と僕』」もあって、これは小規模なりに小生にはなかなか興味深い内容。
そのあと館内に設けられた喫茶室「モリキネカフェ」で一服。ここの珈琲は実に香ばしく、季節柄メニューにあったシュトーレンも美味。ぼんやり窓外を眺めると、観潮楼の頃からある沙羅の大樹や大きな庭石が見えて格別な感慨を覚える。
館の売店でこれまでの展示カタログ数種を買い求めて表へ出ると、かなり陽が傾いてきたものの、日暮れにはまだ間があるので街歩きもう少し続けることに衆議一決。さっき館内の地図でここから指呼の距離に夏目漱石旧宅「猫の家」跡があると教えられたので、大体の見当をつけて捜しながら千駄木の高台を散策。ほどなく日本医科大の大きな病院や校舎が現れ、同窓会館の敷地の片隅に小さな表示と猫の小ブロンズ像(
→これ)があって、この場所が旧宅跡だと知る。
漱石が猫の小説をここで書いたことはNHKのドラマ《夏目漱石の妻》でも語られていたが、肝腎の建物は愛知県の明治村に移築されてしまい、跡地にその面影はない。不思議なことに同じ家にかつて鷗外も二年ほど住んで「千朶(せんだ)山房」と名づけたというから面白い。「観潮楼」に越す直前のことだ。
ここから権現坂を横切ると「権現」すなわち根津神社がある。そそくさとお参りを済ませ、季節外れで人影まばらな境内を抜けて不忍通りに出たら地下鉄の根津駅の表示がすぐそこに見えた。そろそろ帰途に就こうかと思ったが、家人がもう少し歩くというので散策を続行。そのまま池之端の方向へと歩を進める。
ほどなく視野が開け不忍池が左手前方に見えたところで信号を渡り、都電の車両が置かれた公園を横目で見ながら上野の山の方角へ歩を進めると、水月ホテル鷗外荘の看板が目に入った。ここは以前も来たが、ドイツ留学から戻った鷗外が新婚生活を送り(ほどなく破綻)『舞姫』『うたかたの記』を執筆した旧居跡であり、観潮楼や千朶山房とは異なり、当時の住居がそのまま保存されている。ただし敷地はホテルの中庭のような場所だから、映画のセットさながら嘘っぽさと俗臭が漂い、しみじみ情緒を味わえる環境とは言いがたい。有料で内部も見学できるが、今日は遠慮しておく。
そろそろ足が草臥れていたし夕刻も近づいてきたので、精養軒の裏手から上野の山への坂道を上り、そのまま公園を突っ切ってJR上野駅の公園口へ。公園の整備計画とやらでほうぼうの銀杏の大木に緑のテープが巻かれているのを目撃。ほどなく伐採・抜根されるのだという。いやはや公園管理者たちの心無い所業には怖気が走る。世も末だとつくづく痛感。
家人の万歩計はすでに一万歩を突破。千駄木→根津→池之端→上野と大東京のほんの一隅を歩いただけだが、鷗外ゆかりの旧宅跡を訪ね歩く散策は有意義だったと我ながら思う。年末は鷗外と漱石を読もうかな。