久しぶりに生きて呼吸する音楽を聴いた。昨今の在京楽団の「達者だが生気を欠いた」演奏に違和感を拭えない小生には沙漠のオアシスさながら。オーケストラの生演奏はこうでなくちゃ。
2016年10月11日(火)19時~
都民劇場 音楽サークル 第641回定期公演
マリインスキー歌劇場特別演奏会
東京文化会館 大ホール
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チャイコフスキー:
幻想序曲《ロミオとジュリエット》
歌劇《エヴゲニー・オネーギン》より
■ レンスキーのアリア「わが青春の輝ける日々よ」
■ グレーミン公爵のアリア「恋とは齢を問わぬもの」
■ タチヤーナの「手紙の場」
ボロディン:
歌劇《イーゴリ公》より
■ コンチャク汗のアリア「そなたは捕虜でなく客人」
■ ポロヴェツ人の歌と踊り
=休憩=
プロコフィエフ:
十月革命二十周年記念カンタータ
◇
レンスキー(テノール)/エヴゲニー・アフメドフ
グレーミン公爵(バスバリトン)/エドワルド・ツァンガ
タチヤーナ(ソプラノ)/エカテリーナ・ゴンチャローワ
コンチャク汗(バス)/ミハイル・ペトレンコ
ワレリー・ゲルギエフ指揮
マリインスキー歌劇場管弦楽団・合唱団海外歌劇場の引越公演は高価すぎて縁がないが、この日ばかりは足を運ばずにはいられない。理由は云うまでもなかろう。
冒頭《ロミオとジュリエット》は箍の外れたような緩い演奏でアンサンブルも不揃い。練習不足なのか、疲れているのか。無理もない、8日・京都《オネーギン》、9日・神戸(演奏会)、10日・東京《ドン・カルロ》と連日の旅興行、明日も東京で《ドン・カルロ》という。指揮者もオーケストラもご苦労なことだ。
ところが次の《エヴゲニー・オネーギン》ではすべてが一変した。さすが歌劇場のオーケストラだ、声が絡んだ途端に音楽には生命が宿り、どの楽器も生き生きと歌いだしたから驚きだ。ゲルギエフの指揮は歌手を弾きたてつつ、手綱を締めるところは怠りなく、さすがの練達ぶり。歌手にも楽団にも決して無理を強いず、それでいて確固たるチャイコフスキーが浮かび上がる。名人芸というべきだろう。登場した三人のなかではグレーミン公爵が出色。ロシア特有の深々としたバスバリトンの声の魅惑には、青二才のオネーギンは太刀打ちできないと思い知った。
続く《イーゴリ公》こそはまさしく当夜の演奏会の白眉だった。今さら「韃靼人」でもあるまいと多寡を括っていたら、直前のコンチャク汗のアリアに導かれることで、眼前にポロヴェツ人の陣営が現出する思い。まさにオペラだ。オーケストラはまさしく水を得た魚のごとく煌き弾(はじ)け謳いあげ、そこに強靭な合唱が加わるともう百人力、鬼に金棒である。有無を言わせぬ音楽の力にただもう圧倒され、茫然と聴き入る。1914年の《イーゴリ公》ロンドン初演もこうだったのか。大田黒元雄の日記の昂奮冷めやらぬ記述が頭をふとよぎる。あのときコンチャク汗はシャリャーピンだったのだなあ。
熱に浮かされたような休憩時間を挟んで、後半はプロコフィエフの悪名高いプロパガンダ作品《十月革命20周年記念》カンタータ(1936/37)の日本初演。無論これが小生のお目当てなのだが、聴きたいような聴きたくないような、嫌でも聴かねばならぬような、甚だ複雑な思いがする。
「ソ連邦の作曲家」としての地歩を固めるべく、プロコフィエフがこの曲に全身全霊で取り組んだのは歴史的事実だし、そのためマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの著作から縦横に引用し歌詞を拵える手法は、云ってみれば聖典の詩句のコラージュからなるオラトリオ《メサイア》の共産主義版なのだ。ところが未曾有の大粛清のさなかカンタータは上演が許可されずお蔵入り。プロコフィエフの生前に一度も演奏されなかった。歿後(すなわちスターリンの歿後)今度はスターリンの言葉の引用が禁忌に触れて、世界初演(1966)時にもその部分がカットされるなど、ソ連邦時代には一度も完全な形で演奏されなかった。機会音楽の宿命ともいえようが、「存在しないかのように無視された」不遇な作品である。
このカンタータは「なんでもあり」。ありったけの素材と技法が注ぎ込まれ、前衛主義と大衆性が入り混じる奇怪なアマルガムといおうか。ここでの体験が後続する映画音楽《アレクサンドル・ネフスキー》や《イワン雷帝》へと直結するのは明らかだし、随所で《鋼鉄の歩み》や《炎の天使》や、ひょっとすると初期の《アラとロリー》すらが援用され回想される。
そのあたりをゲルギエフは熟知しており、演奏のどこをとってもプロコフィエフらしい響きが充満する。「
ゲルギーは本当にプロコフィエフを知り尽くしているわ」という故ノエル・マン女史の評言を思い出す。
ゲルギエフはこれまでニューヨーク(1996)でもロンドン(2007)でもこのカンタータを演奏しており、いわば彼が隠し持つ「切り札」らしく、今回もプログラム冊子に「
生誕百二十五周年を期してプロコフィエフの未知の傑作を演奏します。前半とは雰囲気ががらりと一変することでしょう。初めてこの音楽を聴いて驚かれる向きもおありでしょうが、これは偉大な音楽を記した偉大なスコアです」とわざわざ英文メッセージを寄せている。
「偉大な音楽を記した偉大なスコア(a great score of the great music)」──本当にそうだろうか。1996年のニューヨーク公演に際してロシア音楽史の泰斗リチャード・タラスキンは『ニューヨーク・タイムズ』紙に、スターリン体制を賛美するプロパガンダ音楽を、その制作意図や歌詞のテクストを棚上げして、作品を「純音楽的に」礼賛する危険性に警鐘を鳴らした(彼の論集 "On Russian Music" で読める)。2007年のロンドン公演(ロンドン響)では、同地ではこれが数度目の演奏ということも手伝ってか、(少なくもネット上で検索した限り)表立った反撥の声は上がらなかったらしい。
では昨夜の日本初演はどうだったか。歌詞は舞台の両袖に字幕で表示されるので、耳と目で同時に理解し、味わうことが可能だったのだが、その聴取体験を踏まえたうえで、このカンタータは(プロコフィエフ並びにゲルギエフの懸命な努力にもかかわらず)壮大な徒労に終わったと断ぜざるを得ない。
冒頭いきなり激越な調子で描写されるロシア革命の動乱も、新政権樹立のいきさつも、さながらパノラマの背景画や見世物の活人画、せいぜいドキュメンタリーの挿入音楽といった程度のリアリティ。マルクスやレーニンの言葉が空虚さをさらに増大させる。部分的には「ほう!」と感心するものの、全体としては表面的な効果を狙った描写音楽の域を出ない。《炎の天使》の悪魔狩りの迫真の描写とは較ぶべくもないのである。ここにオーケストレーションの熟練や描写力の卓越を認めるに吝かではないが、それが音楽表現そのものの力たりえていないのが致命的だ。
この虚仮脅かしのカンタータを聴きながら、小生はゆかりなくも藤田嗣治の「迫真の」戦争画を想起していた。プロコフィエフも藤田も、国策プロパガンダを奇貨として自らの腕の見せどころと考え、全知全能をふるって事に当たった。両者は自らのメティエを恃むところが人一倍大きく、技術の練達こそが芸術表現の核心部分だと錯覚したのではないか。リアリティの追求? たしかにそのとおりだが、現出したのは「まやかしの」リアリティでしかなかった。
休憩前に聴いた《イーゴリ公》の昂揚感に満ちた音楽と、なんという違いだろう。
ボロディンが未完のまま遺したオペラを今日ある形に仕上げたのは、リムスキー=コルサコフとグラズノーフの二人だったのだが、プロコフィエフはほかでもない、そのグラズノーフの門下生なのだ。合唱とオーケストラが叙事詩的に絡み合うロシアの伝統を嫡子として正統的に受け継ぎながら、かくも禍々しい「偽りの音楽」が書かれたことを、小生はロシアのために、プロコフィエフのために哀しむ者だ。