さしたる理由もないというのに、無性にロンドンが恋しくなることがままある。それも決まって五月にだ。
どうしてそうなるのか、少し考えたら原因がわかった。足繁く訪英していた1990年代、決まってこの季節を選んだためだ。本職の仕事が一段落し、かの地では挿絵本の稀覯ブックフェアが催される。だから判で捺したように五月後半から六月にかけてロンドンに滞在した。初夏の声を聞くとその記憶が甦って、あれこれの街景がまざまざと脳裏に浮かぶ。パヴロフの犬が垂らす涎のようなものだ。
そんなわけで、あの街が懐かしくてならない。こういうときはBBCのサイトで現地からの実況録音で無聊を慰める。せめて耳で英都を偲ぼうというわけだ。
今夜はエルガーをめぐる連続コンサートを聴いている。演奏会場の
LSOセント・ルークス LSO St Luke's は、今は廃れた教会堂を改造した音楽ホールで、ロンドン交響楽団がリハーサル会場として用いるほか、頻繁に安価なリサイタルが催される。一度だけだが小生も足を運んで室内楽を聴いた。バービカンから北東へ少し行った街区に位置する、さして特色のない石造りの聖堂だ(
→外観)。
訪問時の日記(2008年5月23日)からそのくだりを引いておこう。
キングズ・クロス/セント・パンクラス駅へ取って返し、地下鉄ノーザン・ラインで二駅先のオールド・ストリートへ。初めて降りる駅だが、近隣地図が無料で貰えたので、目指す「LSO セント・ルークス」も、大通りを五分ほど歩いたところに難なく見つかった。ここも外観はなんの変哲もない、ありふれた教会堂にしか見えない。
正面の扉を開けると、親切そうな係員が「コンサートか」と尋ねるので「そうだ」と応じると、「まだ早いので地下のクリプトでしばし待たれよ」と勧めてくれた。
入口に積んであったこの聖堂の由来を記したパンフに拠ると、ここは拡張を遂げた倫敦の新開地の教会として18世紀に創建され、二百年以上の歴史を誇ってきたが、20世紀に入ると地下水の汲み上げで地盤が脆弱化し、建物に倒壊の危機が迫ったため廃寺となった。それをロンドン交響楽団(LSO)が買い上げ、大がかりな補強工事を施したうえで楽団の練習場としたのだという。名称にLSOが冠さるのはそれ故だ。
聖堂の歴史に思いを馳せながら、クリプトで紅茶とマフィンをいただく。改装工事はごく近年のものらしく、このカフェもたいそう居心地が良い。ほどなく開場。何時の間にか数十人が集っている。
教会堂の大きな空間はそのままだが、ほうぼうに補強の柱が立ち、壁体にも鉄骨の支えが見える。内陣はすっかり取り払われ、もとは会衆用のベンチがあったあたりは階段状の座席となり、全体はすっかりコンサートホールの趣。普段はロンドン交響楽団の練習場であるが、リハーサルは無料公開され、そのほか若手奏者にも活動の場として提供されているらしい。
そのあと小生はこの場所で若手チェロ奏者が弾くブラームスとドヴォジャークを聴いた。「ランチタイム・コンサート」と銘打たれ、入場は無料だったと思う。
昔話はさておき、ここでつい先日やはり「ランチタイム・コンサート」としてBBCが催したのが "Elgar Up Close" と題された四回連続の演奏会である。さすがにこちらは有料だ。
LSO St Luke's -- Elgar Up Close
BBC Radio3 ランチタイム・コンサート
エルガーを間近に(全四回)
4月14日、21日、28日、5月5日
午後一時~二時
解説/フィオーナ・トーキントン
ロンドン、LSOセント・ルークス
入場料/12ポンド(各回)
■4月14日(木)
エルガー: ヴァイオリン・ソナタ (1918)
ヴォーン・ウィリアムズ: 揚げ雲雀 (1914)
エルガー: ソスピーリ (1914)
*アンコール
エルガー: 愛の挨拶
ヴァイオリン/ジェニファー・パイク
ピアノ/ピョートル・リモノフ →ストリーミング再生■4月21日(木)
エルガー: 序奏とアレグロ (1904~05)
ヴォーン・ウィリアムズ: トマス・タリスの主題による幻想曲 (1910)
ブリテン: フランク・ブリッジの主題による変奏曲 (1937)
ロマン・シモヴィッチ指揮
LSO弦楽アンサンブル →ストリーミング再生■4月28日(木)
ストラヴィンスキー: 弦楽のための三つの小品 (1914/18)
エルガー: ピアノ五重奏曲 (1918~19)*
ピアノ/ヒュー・ワトキンズ*
エライアス四重奏団 →ストリーミング再生■5月5日(木)
パーセル: 三つの幻想曲
エルガー: 弦楽四重奏曲 (1918)
*アンコール
シェットランド民謡(ドナルド・グラント編): ダ・デイ・ドーン Da Day Dawn
ドナルド・ショー(ドナルド・グラント編): カラムの路 Calum's Road
エライアス四重奏団 →ストリーミング再生(まだ聴きかけ)