氷雨が降りしきる夜にまたもや訃報が届いた。つい先ほどのことらしいが、英国の作曲家
ピーター・マックスウェル・デイヴィス卿 Sir Peter Maxwell Davies が長逝された由。享年八十一。詳しくは "Gramophone" 誌とBBCのオビチュアリ(
→これ、
→これ)をご参照いただこう。
わが国ではとんと人気が出ず仕舞いだったが、本国では作曲界の重鎮として敬愛を集め、十の交響曲、六つのオペラなど膨大な作品の多くはCDでたやすく聴ける。かくいう小生はそのごく一部しか架蔵しておらず、追悼文をしたためる資格を欠いているのだが、それでもこの一枚を聴いて追悼せずにはいられない。
"Maxwell Davies: The Devils -- The Boyfriend -- Seven In Nomine"
マックスウェル・デイヴィス:
《ボーイフレンド》組曲 (1971)
《肉体の悪魔》組曲 (1971)
七つのイン・ノミネ (1965)
ニコラス・クレオバリー指揮
アクエリアス1989年10月、ロンドン、アビー・ロード、EMIスタジオ
Collins 10952 (1990)
→アルバム・カヴァーマックスウェル・デイヴィスの名をまず映画音楽で知ったという者は少なからず存在するだろう。《恋する女たち》(1969)、《恋人たちの曲 悲愴》(1970)と問題作をたて続けて世に問い、スキャンダラスな巨匠の名を恣にした
ケン・ラッセルが次回作の音楽を委ねたのが、ほかでもないピーター・マックスウェル・デイヴィスだった。映画監督より七つ年下の作曲家は当時まだ三十代半ば。英国楽壇でようやく頭角を現し始めた新進気鋭の一人に過ぎなかった。
ケン・ラッセルの次作《肉体の悪魔 The Devils》(1971)はオルダス・ハックスリーの実録歴史小説『ルーダンの悪魔』を原作とし、17世紀の修道院を舞台に酒池肉林の乱交と残虐な異端審問が繰り広げられる。この身の毛もよだつ映像に相応しい音楽を供するようマックスウェル・デイヴィスは請われたのである。
云うまでもなくケン・ラッセルはクラシカル音楽への造詣の深さでは人後に落ちない。BBC時代にドビュッシー、バルトーク、プロコフィエフ、エルガー、ディーリアスらの伝記TV映画を連作し、独立後もチャイコフスキー(上述の《恋人たちの曲 悲愴》)、リスト、マーラーの生涯を(大いにデフォルメしつつ)映像化した。
目利きだった監督は1960年代末にマックスウェル・デイヴィスの才能に逸早く気づき、その最新作「狂王のための八つの歌 Eight Songs for a Mad King」「ヴェサリウスの絵図 Vesalii Icones」(ともに1969)の初録音とLP化(1970、
→これ と
→これ)にあたっては勧進元となった。映画音楽の依頼はまさにこの時期になされたものである。
ケン・ラッセルが常軌を逸しているのは、この狂気が渦巻く残忍な歴史絵巻と並行して、もう一本別の映画、それも朗らかで能天気な「ボーイ・ミーツ・ガール」物のミュージカルを企図し、ほぼ同時進行的に製作したことである。1920年代に取材した同名の舞台ミュージカルに基づく《ボーイフレンド》(1971)は、原作の楽曲(作詞・作曲/サンディ・ウィルソン)を踏襲したものだが、映画化にあたって監督はその編曲(新たなオーケストレーション)の仕事もまるごとマックスウェル・デイヴィスの手に委ねたのだ。余程この新進作曲家を信頼したのだろう。
魔女狩りの惨劇とお気楽ミュージカルを平然と同時期に並行させる監督も監督なら、まるで水と油の二作に対照的な音楽を書き分ける作曲家も作曲家だ。かくて《肉体の悪魔》と《ボーイフレンド》は同じ1971年に公開された。前者のグロテスクな地獄絵図を、後者のバーレスクな泥酔夢があたかも浄化し、淀んだ暗雲を取り除き、悪魔祓いするかのような塩梅だ。
ひとりの作曲家にとって、この二作の仕事がどれほど tour de force であったか。しかも彼が映画音楽を手がけるのはこれが初めてだったのである!
若きマックスウェル・デイヴィスがいかに巧妙にそれを成し遂げたか。本CDはその才気煥発たる成果を瀝然と示している。