昨日たまたまTVの情報番組で「千葉天神で鷽替(うそかえ)」というニュースを観て、家人も小生も「ほう」と驚きの声をあげた。
鷽替の神事といえば太宰府天満宮か湯島天神、とりわけ亀戸天神の専売特許かと思ったら、身近な千葉市内でもやっているとは初耳である。千葉に移り住んで二十年以上になるが、迂闊にもそんな事実をこれまで知らずにきた。
そうと聞いたらもう居ても立ってもいられず、家人と示し合わせて早速その神社に赴いた。今日はここ数日間の凍てつくような寒さも和らぎ、絶好の外出日和だったし、節分までやっているという鷽替も、肝腎の木彫りの鷽がなくなったら期日前に終了してしまう。善は急げとばかりに出向いたのだ。
千葉市モノレールの「千葉」の次の駅「栄町」で下車。この界隈は見るからにうらぶれた歓楽街である。宵闇に紛れればともかく、明るい時間には寂れて汚らしく、気持ちが荒んでしまいそうだ。昼時というのに、開いている飲食店が一軒も見当たらない。諦めて裏道をとぼとぼ十分ほど歩くと、不意に塀に囲まれた神域に出た。ここが名にし負う千葉宗家の氏神「千葉神社」であり、その一郭に「千葉天神」が所在する。湯島や亀戸と違い、繁忙期なのに人影はまばらである。
まずは本殿に拝礼し、社務所に赴くと、木彫りの鷽は大小取り混ぜて五種類。姿形は亀戸天神の鷽とよく似るが、頭頂が青く彩られるのが特徴だ(
→これ)。小生らは初回なのでいちばん小さいのを所望した。自分たちの分と、就職と受験を控えた甥っ子、姪っ子の分。ひとつ千円也。霊験あらたかだといいのだが。
しばらく境内を散策し、ひととおり参詣を済ませたら空腹を覚えた。表通りに出て少し歩くと千葉パルコが見えた。この周辺ならば食事処はいくらでもある。いつもだと中華の名店「佳耀亭」あたりに赴くのだが、今日は軽くいきたいと家人が主張するので、あちこち界隈を物色した挙句、パルコ脇から若葉郵便局の方角へ少し行ったあたりに「蓮池うどん」なる食堂をみつけて入った。ここは以前は別の蕎麦&定食の店があった場所ではないか。
家人も小生もこの店は初めてなので、お薦めだという「肉卵とじうどん」を註文。ついでに百円の「かきあげ」と五十円の「煮卵」を追加した。お味はまずまず。腰の柔らかな饂飩だが肉と野菜で具沢山。かきあげもクリスピーでしつこくない。煮卵はちょっと甘すぎたかな。家人のかきあげを半分貰ったら満腹に近い。
ここから千葉市美術館までは指呼の距離──ほんの二、三分なので近すぎて腹ごなしできず、膨満状態のままエレヴェーターで八階へ。ここで「初期浮世絵展──版の力・筆の力」を拝見する。「千葉市美術館開館20周年記念」と銘打たれ、力の籠もった大展覧会だ。チラシの口上を丸ごと引く。
新興都市江戸に暮らす人々が、太平の世に自信と愛着を深めていく17世紀後半、浮世絵の始祖と位置付けられる菱川師宣(?~1694)が活躍を始めます。流行の衣裳に身を包む美人たち、人々を熱狂させた歌舞伎、そして江戸における日々の愛すべき暮らしなど、今に生きる楽しみを積極的に肯定する浮世絵は、時代を謳歌する気分とも相俟って、高い人気を得ることになりました。
浮世絵は、木版画として広く人々に普及しましたが、量産による値段の安さ、また当世の流行を即時に取り入れた木版画制作の速さという特徴が、庶民に至るまで気軽に絵を楽しむことができるという世界でも稀な文化状況を育んだのです。一方で肉筆画、すなわち日本絵画の伝統的な技法で描く屏風や掛軸、絵巻物などの形式でも制作され、富裕層の需要も満たしていたのです。
どのように浮世絵は生まれ、発展し、なぜ近代に至るまでの高い人気と需要を継承できたのでしょうか。本展覧会では、大英博物館、シカゴ美術館、ホノルル美術館をはじめ海外からの里帰り品を含めた版画・肉筆画の名品約200点により、浮世絵草創期の世界を紹介、版と筆それぞれの表現の魅力を探ります。新しい都市の活況を伝え、時代のダイナミックな動きに呼応して、素朴ながらも力強い存在感を発揮した初期浮世絵の美を十分ご堪能いただけることでしょう。
近世初期風俗画から菱川師宣前後の浮世絵誕生の状況、鳥居清信(1664~1729)や鳥居清倍(生没年不詳)が歌舞伎絵界に圧倒的な地位を築く初期の鳥居派、浮世絵界のトリック・スター奥村政信(1686~1764)や石川豊信(1711~1785)の多様な活躍、そして高度な多色摺木版画技法、すなわち錦絵が誕生する鈴木春信(1725?~1770)の登場までを通観する、日本初の総合的な初期浮世絵の展覧会です。チラシの案内文としては異例な長さであり、開館二十周年の節目ということも手伝って、それだけ主催館の意気込みが大きいのだろう。
千葉市美術館では十六年前に大がかりな菱川師宣展を催しており、改めて初期浮世絵の展覧会を催すからには相応の自信と覚悟があるに違いない。江戸美術の専門家を擁する同館ならではの矜持に満ちた企てなのは門外漢にだってわかる。わかるのだが、それだけに浮世絵に疎い小生のような者はちょっと怯んでしまう。きっと専門家にしか愉しめない高度で難解な内容なのだろう、と。
(まだ書きかけ)