神保町と御茶ノ水で所用を済ませ、宵闇の迫る本郷の東京大学構内へ。陰気で鈍重な校舎群が黒々と建ち並ぶさまは訪れる者を憂鬱な気分にさせる。
階段を上って辿り着いたのは法文二号館のII大教室という場所。ここで面白そうな催しがあると小耳に挟んだのだ。
公開シンポジウム《ロシア芸術とジャポニズム》
司会/沼野充義 (東京大学)
コメンテーター/伊東一郎 (早稲田大学)
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報告1/平野恵美子 (東京大学)
「20世紀初頭西欧芸術のジャンル・ヌーヴォー」
報告2/高橋健一郎 (札幌大学)
「ロシアのモダニズム音楽とジャポニズム
~ストラヴィンスキーとルリエーの和歌歌曲の詩学」
報告3/中野三希子 (SPAC=静岡県舞台芸術センター)
「宮城聰演出《マハーバーラタ》 チェーホフ演劇祭2015 参加報告」
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コメント
午後五時少し過ぎに沼野教授が開会の挨拶。この催しは発表者のひとり平野さんの発案になるもので、自分はただ名を連ねただけとご謙遜。とはいうものの、今日の報告内容にはいずれも興味津々のご様子だ。
最初の平野恵美子さんはディアギレフのバレエ・リュスの歴史的背景をその源流であるペテルブルグの帝室バレエにまで遡って調査されている有望な若手研究者。小生は三年前、早稲田の「桑野塾」の発表でご一緒したことがある。そのときも話題に出たアンナ・パヴロワが踊った「日本舞踊」や、パヴロワと共演したインドの舞踊家ウダイ・シャンカールのことも交え、今日の発表では《ファラオの娘》などペチパ振付のオリエンタル・バレエ、バレエ・リュスのためにフォーキンが振り付けた《クレオパトラ》《青い神》へと連なる東方趣味のロシア・バレエの系譜を紹介し、そこにジャポニスムがどのように関与したかを考察する。
浮世絵など日本美術のロシア人収集家の出現、貞奴や花子の訪露公演などを引き合いに出しつつ、ロシアでも確実に日本文化の受容が行われていたが、バレエの実作はジャポネズリー(表層的な日本趣味)の域を出ておらず、リン・ガラフォラの云う「ジャンル・ヌーヴォー」(単なる異国趣味でない、表現の深化した次段階)はニジンスカ振付の《結婚》の出現を俟たねばならない、という趣旨。
大筋において間違っていないと思うが、時間の制約からか、論の進め方が些か荒っぽく、実例も不充分で、説得力に著しく欠けていたのは勿体ない。もっと論点を絞り込まないと駄目だ。そもそも、《結婚》は異国趣味の範疇には属さず、ロシア民衆習俗──自国文化の古層を探り当てようとする試みではなかったのか? バレエ・リュスの東洋趣味(とりわけジャポニスム)を論ずるのなら、1914年初演のオペラ=バレエ《夜鶯(ナイチンゲール)》(ストラヴィンスキー音楽、ベヌア美術、ボリス・ロマノフ振付)こそが恰好かつ不可欠な作例だと思うのだが・・・。
次の高橋健一郎さんは初めてその謦咳に接した。論点が拡散しがちな平野さんとは対照的に、こちらはストラヴィンスキーの「
三つの日本の抒情詩」(1913)と、アルトゥール・ルリエ―の「
日本組曲」(1915)という、和歌に附曲した二つの歌曲集のみに話題を絞り込んだ入念緻密な発表である。
20世紀初頭の十数年(1910年代~20年代)ロシアの作曲家たちが競うように日本の短歌や俳句(の露語訳)による歌曲を創った事実は、小生も前々から気にかけており、CDを蒐集し、その起源を考えあぐねたりしていた。今回の高橋さんの発表はそうした積年の蒙を啓き、啓示的な光を投げかける内容だった。
ストラヴィンスキーもルリエ―も、洋楽の伝統的な枠組である調性音楽を乗り越えようと模索し、その過程でほぼ同時期にジャポニスム(日本の詩歌に作曲する)に関わったところは共通するが、その具体的なやり方が正反対と呼べるほど異なっていた、というのが高橋さんの所論である。
ストラヴィンスキーが「三つの日本の抒情詩」でとった方法は、彼が浮世絵版画から感じ取った「日本人にみられる遠近法と立体感の諸問題の図像的な解決法」、すなわち立体感に乏しい二次元的な芸術という印象を、自らの音楽に転写しようとする試みだった。具体的にいうと、歌詞(和歌の露語訳)の強拍と、譜面上の強拍を意図的にずらし、アクセントを欠いた遠近感に乏しい音楽を紡ぎだす書法である。その結果、力点のない日本語によく似た、朗誦の「線的遠近法」が生まれるのだ、とストラヴィンスキー自身が述懐する。
一方のルリエ―は、未来派の芸術家との交友から三次元、更には四次元の音楽を志向しており、従来の西洋音楽に欠落していた「内的遠近法」を復活させ、奥行ある新音楽を目指した。この点で、ルリエ―の方法はストラヴィンスキーの平面化とは対照的に、音楽の立体化を志向したものだった由。
高橋さんはそのあと、個別的に譜例を示しながら楽曲の細部を分析し、ストラヴィンスキーがいかに歌詞と音楽との力点をずらし、アクセント抜きの平板な歌曲を書いたか、ルリエ―が隣接する不協和音を多用して個々の音から輪郭を奪い、レリーフ状の立体化を施したかを縷々解説した。ルリエ―の場合、無音のフェルマータや唐突な休符の挿入により、「無音」空間を拡大する意図もみられ、季節の異なる詩句を強引に接合し、四次元を示唆した形跡すらある、とも指摘した。
三人目の報告者は中野三希子さん。これまでの二人の研究発表から一転して、劇団の実践報告である。1997年創設の静岡県舞台芸術センターは数多ある同種の公立劇場のなかで自主公演のみを行う(貸館事業を排した)唯一の場所だという。2007年からは宮城聰が芸術監督を務め、近年は人気演目《マハーバーラタ》を引っさげ再三の海外公演を敢行している。今夏はモスクワのチェーホフ演劇祭に参加した。その報告を兼ねて、近年の活動が紹介された。
小生はこの団体について何ひとつ知らず、すべてが新鮮な驚きだった。《マハーバーラタ》は宮城が劇団「ク・ナウカ」時代から上演してきた演目だといい、このインドの古代叙事詩が平安時代の日本に伝播していたら・・・という仮想の下に構想された(したがって登場人物の衣裳は古式床しい平安装束)。そこに演者と話者とを分離させた独特の「二人一役」の手法が加わる(黙劇を演ずる役者たちの周囲に集うコロス風の面々が科白を発する)。種々の打楽器を用いた付随音楽もすべて役者たちが担当するのも、この上演の特色だろう。
ほんの一部分ながら、上演時のヴィデオクリップが紹介された。限られた時間内なので、実際の舞台を知らぬ者には委細はわからぬながら、日本的な所作や発声法を生かしつつ、歌舞伎や能狂言などの伝統芸能とは一線を劃し、現代演劇としての鮮度や鋭さを追求したパフォーマンスといえようか。《マハーバーラタ》だからといって、インドを思わせる細部は全く見受けられない舞台である。
とても面白い刺戟的な紹介だったが、この《マハーバーラタ》上演が今日のシンポジウムの主題「ロシア芸術のジャポニズム」とどう連関し、いかなるメッセージを発するのか小生にはよくわからず、正直なところ困惑した。戸惑いつつも、大いに愉しんだ、といえばいいか。そのあたり、企画者の平野さんから今少し具体的な補足説明や総括があればよかったのに、と思う。
最後にコメンテーターの伊東一郎教授が登壇。例によって凡庸で無内容なコメントに「またかよ」と呆れ果てた。先代の猿之助がパリでオペラ《金鶏》を演出した話をしたまではいいが、
ディアギレフがこれを上演したとき舞台美術をビリービンが担当した、と誤った解説を平然と述べてしまうのには仰け反った。それでも学者か? この御仁、以前にも山田耕筰について無知を晒け出し(2007年
→この日)、《春の祭典》シンポジウムでは「ディアギレフはチャイコフスキーのバレエを上演しなかった」と妄言を吐いた(2008年
→この日)、いわば札付きの要注意人物。こういう蒙昧な輩が壇上から偉そうに発言する光景は茶番というほかない。