このところ小春日和といいたい穏やかな陽気が続いている。とはいえ夕方ともなれば空気がひやり肌に沁みる。今夜は久しぶりにロール・キャベツを手作りした。それと予め買い置きしておいた新酒の赤葡萄酒を開栓。
今夜のフランス近代音楽は深い祈りの楽曲を。
"Poulenc: Figure humaine / Ensemble vocal de Provence"
プーランク:
人間の顔 (1943)
■ 世のあらゆる春のうちで
■ 歌いながら家政婦らは駆けだす
■ 沈黙のごとく密やかに
■ そなた、わが耐え忍ぶ者よ
■ 天空と惑星に笑いかけながら
■ 昼にたじろぎ、夜に怯え
■ 赤い空の下の脅威
■ 自由
降誕祭の季節ための四つのモテト (1952)
サルヴェ・レギナ (1941)
アッシージの聖フランチェスコの四つの小さな祈り (1948)
エレーヌ・ギー指揮
プロヴァンス声楽アンサンブル1980年、エクス=アン=プロヴァンス
Pierre Verany PV 788111 (1988)
→アルバム・カヴァー →元LPカヴァー実はこのアルバムを取り上げるのは二度目である。前回は2011年。周囲が闇に包まれたとき、微かな希望の光を求めるのは人の習性なのかもしれない。そのときのレヴューを再録したい。
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絶望のなかで希望を、暗闇のなかで光明を見失わないために、私たちにはどれほど強靭な精神が必要なのか。苦境にあってこそ人は試されるのだ。
第二次大戦のさなか、被占領地域に暮らすフランシス・プーランクの許に、タイプ打ちされた詩篇がひとつ、またひとつと朝の郵便で届けられた。いずれの詩にも偽名が記されていたが、それらがポール・エリュアールの作であるのは見紛いようもなかった。こうして私は詩集「詩と真実 42」に含まれる詩の大部分を受け取ったのである。1943年の夏じゅう、私はジネット・ヌヴーのためにヴァイオリン協奏曲を書くつもりで、ボーリュー=シュル=ドルドーニュに二部屋を借りていたのだが、その計画はすぐ放棄した。誰にも知られずに作曲し、極秘裏に楽譜を印刷しておき、待ちに待った解放の日がやって来たら演奏しよう──この考えが心に浮かんだのはボーリューにほど近いロカマドゥールの聖母様を詣でたときだった。私はわれを忘れて《人間の顔 Fugure humaine》に没頭し、夏の終わりには仕上げてしまった。
友人の楽譜出版者ポール・ルアールがこのカンタータの「地下出版」を引き受けてくれたので、フランスが解放されるやすぐさま、私たちは楽譜をロンドンに送り、1945年1月、戦争終結を待たずにBBC合唱団がこれを初演した。
以上のような作曲家の言葉が今ちょうど聴いているディスクのライナーに引かれている。カンタータ「人間の顔」はその冒頭に置かれた曲目だ。
学生時代にフランス語を少しでも齧ったことのある者ならばエリュアールの「自由 Liberté」を知っているだろう。とても長大な詩なので最初と最後を訳してみる。
僕の勉強帖の上に
机の上に、木の幹に
砂の上に、雪の上に
僕は書く 君の名を
読んだページに
空白のページに
石、血、紙そして灰
僕は書く 君の名を
金色に輝く挿絵の上に
戦士たちの武具の上に
王様たちの冠の上に
僕は書く 君の名を
密林に、砂漠に
鳥の巣に、羊歯の茂みに
子供時代の谺の上に
僕は書く 君の名を
夜々の不思議の上に
日々の白麺麭の上に
連なる季節の上に
僕は書く 君の名を
わが青空のすべての切れ端に
陽の輝く池の上に
月の煌めく湖面に
僕は書く 君の名を
野原の上に、地平線に
鳥たちの翼に
翳った風車の上に
僕は書く 君の名を
茜色の朝霧の上に
海の上に、舟の上に
荒れ模様の山上に
僕は書く 君の名を
湧き立つ雲の上に
吹き荒れる嵐の汗に
降りしきる雨に
僕は書く 君の名を
[中略]壊されたわが隠れ家に
崩れ去ったわが燈台に
わが憂愁の壁の上に
僕は書く 君の名を
何も望まぬ放心の上に
丸裸の孤独の上に
死の行進の上に
僕は書く 君の名を
蘇った健康の上に
消え去った危機の上に
思い残さぬ希望の上に
僕は書く 君の名を
そして、ひとつの言葉の力で
僕は人生を再び始める
僕は君を知るために生まれてきた
そして君の名を呼ぶ
自由、と。
胸の鼓動が高鳴るようなこの詩を、プーランクは決して絶叫することなく、穏やかさを保ちつつ淡々と呟くような歌に託した。だからこそ感動的なのだ。
唄われた言葉を耳から聴いて理解できるほど貧書生はフランス語に通じてはおらず、リーフレットの歌詞を苦労して判読する程度の乏しい語学力しか有しないが、それでもエリュアールの詩句が戦時下のプーランクたちをいかに鼓舞し勇気づけたかは想像に難くない。
同時に痛感させられたのは、現今を生きる私たちは、もはやこのような無垢な正義感に裏打ちされた瑞々しい言葉を持ち合わせていないという悲しい事実である。こじ開けられたパンドラの箱には絶望しか残されていないのだろうか。