昨日は観劇(というかバレエ映像の鑑賞)のあと、映画館と同じ建物の一階にある「にんべん」のレストランで出汁の効いた饂飩を食し、そのあと夕暮れの都心を裏道伝いに歩いた。日本橋でたまたま「榮太樓總本鋪」の看板を見つけ、懐かしさにつられて入った。昔ながらの榮太樓飴にも心惹かれたが、家人が強く推す金鍔を買い求めた。定番の「名代金鍔」と「芋金鍔」の二種類(もう一種の「黒糖胡桃金鍔」は売切)。今日のおやつはそれを賞味した。思いのほか柔らかくて美味。
明日もどうやら遠出になりそうなので、今夜は早めに寝床に入って休息しながら音楽。先日からなんだか癖になっているブラームスのアルバム。小生には滅多にないことだが、深まる秋には相応しい選曲かもしれない。
Brahms: Doppelkonzert, Horntrio"
ブラームス:
ヴァイオリンとチェロの二重協奏曲*
ホルン三重奏曲**
ヴァイオリン/フランク・ペーター・ツィンマーマン* **
チェロ/ハインリヒ・シフ*
ホルン/マリー・ルイーゼ・ノイネッカー**
ヴォルフガング・ザヴァリッシュ指揮*&ピアノ**
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団*1996年4月17、18日、ロンドン、アビー・ロード、スタジオ1*
1996年7月3~5日、ミュンヘン、バヴァリア・スタジオ**
EMI Electrola 5 56385 2 (1997)
→アルバム・カヴァードッペルコンツェルトとホルントリオの取り合わせはかなり珍しいと思う。協奏曲と室内楽、それも渋い晩熟期と躍動的な青春期の作品である。かかるカップリングには他のディスクではお目にかかった試しがない。
それを辛うじて成立させているのは、両者に共通する二人の奏者──ツィンマーマンとザヴァリッシュの存在である。とりわけ前者を指揮したザヴァリッシュが後者では達者なピアノを披露しているのは聴きものだ。周知のように彼は凡百のピアニストを顔色なからしめるほどの腕前の持主だった。
正直なところ、二重協奏曲はいまひとつの演奏である。ヴァイオリンの線が細く、チェロの音色がいかにも地味。おまけにザヴァリッシュの指揮が常識の枠に留まったままだ。独墺の名手を揃えながら、火花を散らす瞬間を欠くといったら望蜀の歎か。悪くないが良くもない予定調和のブラームス。
にもかかわらず、本ディスクを繰り返し愉しんでいるのは、偏えにホルン三重奏曲の名演の故だ。
ヴァイオリンは相変わらずごく常套的な、可も不可もない出来だが、この曲の場合それは些細な瑕瑾でしかない。主役はなんといってもホルンだからだ。
それにしてもここでのノイネッカー女史の巧さといったらどうだ。呆気にとられ聴き惚れるばかり。完璧な制御のもと、あらゆる音がなんの苦も無く流れ出る。ときに喨々と高らかに、ときに楚々としたペーソスを籠めて。こんなに堂々と自在な音楽を奏でるホルン奏者が他にどれだけ存在するだろうか。少し前に彼女が独奏を務めた協奏曲アルバムに舌を巻いたのを思い出した(
→知られざるホルン協奏曲の名作、
→グリエール、グラズノーフ、シェバリーン)。
そこに加わるのがザヴァリッシュの的確無比なピアノだ。地味で没個性的なヴァイオリンと、超絶技巧で自己主張するホルンと、この両者の間の不均衡を目立たせぬよう細心の注意を払いながら、音楽を活性化しつつ纏め上げる。アンサンブルの要としての役割を十全に果たしてみせる。この絶妙なバランス感覚こそは名指揮者の身上なのだろう。