カーソン・マッカラーズ。今では思い出されることも稀なこの米国の閨秀作家のことをふと、しみじみ懐かしく思い出したのは、先だって早稲田の演博に赴いた帰りに読み耽った柴田元幸責任編集の雑誌『MONKEY』最新号「特集 古典復活」で、こんなくだりを目にしたからなのである。
M [前略] たとえば、カーソン・マッカラーズもずいぶん過小評価されてますよね。
S かつては英文科の女子学生のあいだでけっこう人気があったんですけどね。いまはあまり知る人もいないかなあ。
M マッカラーズ、個人的に大好きで、『心は孤独な狩人』が絶版なのはすごく残念で、自分で訳したいくらいなんだけど、何せ長いからなあ・・・・・・でも、哀しみにあふれた、すべてがいい本です。ああいう寂しさはマッカラーズにしか書けない。
S 映画にもなっていますね。邦題は『愛すれど心さびしく』。悪くなかったけど、映画だと聾啞者二人の物語が前面に出て、一番マッカラーズ本人に近い少女ミックの物語がどうしても薄くなりますよね。
M やっぱり書き込みが違うよね。マッカラーズは隅々まできっかりと書き込んでいます。
S 『結婚式のメンバー』はどうですか。
M あれも好きですね。今僕が訳しているところですが、あれも絶版かな?
S マッカラーズ全部絶版です。『悲しき酒場の唄』も。
M 『心は孤独な狩人』『結婚式のメンバー』『悲しき酒場の唄』の三冊はつねに出版リストに入っているべきだと思うんだけどなあ。『黄金の眼に映るもの』『針のない時計』も個人的には好きだけど。
S 『心は孤独な狩人』は、かつての新潮文庫をそのまま復刊しても・・・・・・
M いや、せっかく出すんならやっぱり新しい訳にしたいです(笑)。
S 『悲しき酒場の唄』は僕もやりたいですね(笑)。研究者のあいだでは、同じアメリカ南部の女性作家ということで、マッカラーズはフラナリー・オコナーとよく較べられて、オコナーの方がすごいと言われがちです。もちろんオコナーには強烈な宗教的ビジョンがあって、誰とも違った鬼気迫るところがあるんだけど、マッカラーズにはマッカラーズの、情緒的なよさがありますよね。
M ジム・モリソンとポール・マッカートニーを較べるようなものですよ、それは(笑)。
フラナリー・オコナーがジム・モリソンで、カーソン・マッカラーズがポール・マッカートニーだという喩えが言い得て妙。さすがに比喩の名手だけのことはある。
近々こういう新訳が期待できるのではないか。鶴首して刊行を待ち望んでいる。
カーソン・マッカラーズ
村上春樹訳
結婚式のメンバー
中央公論社
2016
カーソン・マッカラーズ
柴田元幸訳
悲しき酒場の唄
スイッチパブリッシング
2017