(承前)
あれは1999年だったか2000年だったか、ちょっと記憶が定かでないのだが、季節はたしか夏、場所が新宿の伊勢丹デパートだったことは間違いない。その上層階の特設フロアで催された古書市の初日に出かけた折のことだ。
本業が多忙を極めていたこともあるが、当時すでに小生の蒐書への情熱は衰えかけていて、その日も朝一番で出向くほどの気力も体力もなく、正午をかなり回った昼下がり、さしたる期待も抱かぬまま、ゆっくり会場に足を踏み入れたと記憶する。こんな遅い時刻だから、飛び切りの掘出物(そういうものがあったとして)は悉く売れてしまっただろう。どうせ、何も、ないさ。
さすがに初日だけあって、どのブースにも凄い人だかりがして、容易に書棚に近づけない。のろのろしていると傍らの者たちから肘で小突かれ、脇へ押し退けられる。これだから百貨店の古本市は嫌になる。
どうせ欲しい本はありはすまいという先入観があるものだから、押し合いへし合いしてまで漁る気にはならなかった。並み居る書痴たちの背中越しに、遠目に陳列棚をざっと一瞥して心中でひとりごちた。ほら、やっぱり何もなさそうだ、と。
そのときだった。どこか遠くから名前を呼ばれたような気がして我に返る。
慌てて周囲を見渡すが、誰もこちらを見ていない。空耳かと思うが、にもかかわらず前方で何者かが手招きしている。Wachet auf, ruft uns die Stimme.──「目覚めよと呼ぶ声あり」という感じが咄嗟にしたのだ。一体なんだろう。
見えない力に手繰り寄せられるように、人垣を掻き分けて前進すると、その先に硝子ケースが見えた。じかに触れられては困る脆弱な貴重書や、珍しいエフェメラ類など、とびきり高価で稀少な品目を展示するコーナーだから、貧書生にはまず縁のない一郭のはずだ。ところが、その日に限って、どうやらそのあたりから「呼ぶ声」が聞こえてくるのである。
思わず歩み寄って、いきなり電撃を喰らったような塩梅で、その場にしゃがみ込んだ。これは一体なんなのだ? そこには幼少期の小生がこわごわ手に取って愛読した『アラビヤ夜話』、あのアルス刊「日本児童文庫」の一冊の表紙と同じものが、ケースにひっそり並んでいた。しかもそれは書物の体裁ではなく、A4サイズほどの古びた一枚の画用紙なのだ。
硝子越しに目を凝らすと、やはりそうだ。図柄は昔から見慣れた『アラビヤ夜話』の表紙絵──全体に斜線が施された画面中央に、六角の窓枠があり、そこからアラビアの王宮と立ち上る煙、そして不思議な形の三日月が姿を覗かせる(
→これ)──と完全に一致する。画用紙の周囲には余白があり、そこに鉛筆で書き込みがある──「アラビアンナイト」(五色)、第四回配本表紙、と。
もうお分かりだろう。それは1927(昭和二)年に刊行された『アラビヤ夜話』の表紙絵の原画であるに違いない。忘れずに書き添えておくと、アルスの「日本児童文庫」全七十六冊の表紙絵はすべて恩地孝四郎(1891~1955)の手になるものだ。あの版画家・装幀家として一時代を劃した大家である。
恐る恐る係員に声をかけ、その画用紙を硝子ケースから出してもらい、そっと手に取って矯めつ眇めつ眺めた。もう疑う余地はない、これはあの表紙絵の水彩原画そのものだ。その証拠に、裏返すとそこには印刷所(共同印刷)が貼付したらしいシールが入稿時そのままに残っていた。
製版傳票
大正2年7月9日品名/兒童文庫 第4回配本分 9月 アラビアンナイト 表紙
印刷種別/オグデン版製版寸法/縦 七寸二分 横 五寸刷色/五色校正提出日/7月30日 8月5日 *
青字は印刷、
紫字はゴム印、
黒字はペン書き込み
奥付の記載を信ずるならば、同書は1927(昭和二)年9月1日に印刷され、同3日に発行された由。シールに記入された入稿日(7月9日)、出校日(いったん7月30日と書いて抹消し8月5日に訂正)は、当時の製作スケジュールを想像するだに、まずまず無理のない進行といえようか。
奇遇というほかない出逢いにあたふた動顚してしまい、そこからあとの記憶がすっぽり抜け落ちている。確実なのはその日もう他の陳列には目もくれず、ただこの一品だけを大切に抱えて帰路に就いたということだ。なにしろ高名な画家の肉筆水彩画だから相応な値がついていた筈だが、よりによって『アラビヤ夜話』の表紙絵──幼児期に小生が初めて畏怖して眺めた絵の現物──なのだから、それはもう避けては通れなかった。そうなる運命だったのだと自分に言い聞かせた。
それから数か月ほどのち、昂奮がやや収まった頃合を見計らって、伊勢丹の古書市にその原画を出品した渋谷の古本屋を訪ねてみた。周知のとおり古書肆には入手元について守秘義務があるから、詳しい事情は教えて貰えなかったが、その数年前にアルス刊「日本児童文庫」の表紙絵の原画ほぼ全点(!)、口絵と挿絵の原画千数百点がまとめて手に入ったのだという。それらは一括して古書会館の「明治古典会」で競売に付され、地方の蒐集家に手に渡ったそうな。
ところが古書店主はどういう気紛れからか、特に好ましく思った恩地の表紙絵を十点ほど山から抜き取り、売らずに手許に留めておいたのだという。小生が伊勢丹で引き寄せられた『アラビヤ夜話』はそのなかの一点だったのだ。「試しにあの一枚だけデパートに出してみた」とのこと。だからあのときの遭遇は全くの偶然、殆ど奇蹟的な再会だったわけである。
その訪問時、店主は「まだ何点か残っていますよ」と呟くなり、表紙原画を七、八点ほど店の奥から取り出してきた。ええい、ままよ、とばかり、そこから三点──『世界童話集(上)』『面白い數學』『愛の學校物語』──を選んで買い足した。どれも父の蔵書のなかにあった馴染深い表紙ばかりだったから・・・。
こうして小生は恩地孝四郎の水彩画四点の所蔵者となったのだが、世界に一点きりのオリジナルを所有するのは、正直なところ貧書生には重荷である。それこそ「海ぢぢい」を背負ったシンドバッドのように、責任の重さに潰されそうだ。いくら個人的に所縁のある絵だからといって、私人がいつまでも秘匿していい筈はなかろう。トランプのジョーカーみたいなもので、最後まで持っていたら「負け」なのだ。