一週間前に長野と山梨に泊りがけの出張があり、その疲れがやっと癒えたと思ったら颱風の余波で荒れ模様の日々。どうにかやり過ごすと俄かに秋めいてきた。蝉の声は嘘のようにぴたりと止み、ヴェランダの朝顔にも勢いなく枯葉が目立つ。カレンダーを捲るように季節が入れ替わったのだ。
そんなわけで今時分に相応しい音楽はと暫し考える。いきなりブラームスでもなかろうから、初秋に似つかわしく清冽爽快なフランス近代音楽を。
"Masterworks Portrait: Robert Casadesus"
フランク:
交響変奏曲*
ダンディ:
フランスの山人の歌による交響曲**
カサドシュ:
三台のピアノのための協奏曲***
ピアノ/
ロベール・カサドシュ* **
ロベール、ギャビー&ジャン・カサドシュ***
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団* **
ピエール・デルヴォー指揮
コンセール・コロンヌ管弦楽団***1958年11月16日、フィラデルフィア、ブロードウッド・ホテル* **
1966年6月29日、パリ、サル・ド・ラ・ミュテュアリテ***
Sony Classical MPK 46730 (1991)
→アルバム・カヴァーもう何度も書いたが、ロベール・カサドシュは生で聴いた最初のピアニストである。曲目が予告されたサン=サーンスの「第四」から「皇帝」協奏曲に変更されたのは残念だったが、それでも実演に接したという「刷り込み」はよほど決定的だったのだろう。あれは1968年5月だからざっと半世紀後の今なお尾を引いて、こうして彼のディスクを今も折に触れ引っ張り出しては聴く。
それにしても彼のフランクとダンディは素晴らしく爽快。あまりに爽快すぎ味気ないと評する向きもあろうが、小生はこの純水のごとき味わいをこそ愛する。周到なオーマンディの伴奏指揮の水も漏らさぬ名人芸も、聴くほどに凄さがわかる。これら二曲が表裏をなしたLP(
→これ)こそは不滅の名盤と称すべし。
当覆刻CDで親切にもフィルアップされた自作の親子共演は次の二枚目に譲る。
"Casadesus Edition: Compositions by Robert Casadesus"
カサドシュ:
トッカータ 作品40*
二台ピアノのための三つの地中海風舞曲 作品36**
ヴァイオリン・ソナタ 作品34***
ピアノと木管のための六重奏曲 作品58****
三台のピアノのための協奏曲*****
ピアノ/
ロベール・カサドシュ** *** **** *****
ギャビー・カサドシュ** *****
ジャン・カサドシュ* *****
ヴァイオリン/ジーノ・フランチェスカッティ***
フルート/アンドレ・サニエ、オーボエ/リュシアン・ドブレー、クラリネット/マルセル・ジャン、バソン/ジェラール・タント****
ピエール・デルヴォー指揮
コンセール・コロンヌ管弦楽団*****1954年12月20、21日、パリ、サル・ド・ラ・ミュテュアリテ*
1950年1月30日、ニューヨーク、コロンビア三十丁目スタジオ**
1949年12月28日、ニューヨーク、コロンビア三十丁目スタジオ***
1959年2月17日、パリ****
1966年6月29日、パリ、サル・ド・ラ・ミュテュアリテ*****
Sony Classical (France) 5054852 (2002)
→アルバム・カヴァー21世紀の初めに仏ソニーからどっと出た「カサドシュ・エディション」の一枚。自作自演(一部は息子の演奏や夫婦共演)を集めた、とびきり稀少なディスクである。1899年生まれのカサドシュは「六人組」世代の作曲家でもあったことが明らかだ。無窮動風のトッカータや、南国風味の地中海風舞曲(サルダーナ、サラバンド、タランテッロ)は、紛れもなくミヨー(七歳年長)だし、六重奏曲にはプーランク(同い年!)のノンシャランな気分が横溢する。モーツァルト、ショパン、ドビュッシー、ラヴェルを聴いてカサドシュをわかったつもりでいたのだが、彼の音楽の出自が那辺にあったのか、認識を新たにさせられる好アンソロジーなのだ。
三台のピアノの複協奏曲は晩年の1964年作。NYフィルの依頼で書かれ、翌65年夏「仏米音楽祭」で初演された(指揮/ルーカス・フォス)。録音は翌々66年パリで。バッハを下敷きに、ラテン気質とスペイン情緒を加味した秀作である。決然と始まり、きっぱり終わる終楽章がルーセルみたいで格好いい。親子三人の息の揃い方は勿論だが、ぴたりと寄り添い、合いの手を入れるデルヴォーの伴奏指揮が聴きもの。小生がカサドシュ翁の生演奏を聴いたのは更にその二年後のことだ。こんな歴史を生きた人だとは当時つゆ知らなかったが。