五輪エンブレム白紙撤回に深い嘆息。交響曲HIROSHIMA、STAP細胞に続き、グラフィック・デザイン界よ、お前もかとつくづく慨歎した。この国の文化は今や至るところで箍が外れ、激しく劣化し磨滅しているのだろう。
今回の件についていえば、あのエンブレムの「原案」(一位入選した第一案)を選出する段階で、「T」字の形象が1931年にヤン・チヒョルトが創案したタイポグラフィ「トランジト Transito」(
→この書体)の当該字体にそっくりだと気づかなかった選考委員の目の節穴ぶりは責められて然るべきだ。
チヒョルトの名を初めて聞くという向きもあろうが、彼は20世紀グラフィック・デザインを代表する巨匠のひとりで、一般には亡命後に手がけた英国のペンギン・ブックス(
→これ)、ペリカン・ブックス(
→これ)の基本設計で広く知られる。日本の近代デザインの創始者 原弘(ひろむ)は若き日にチヒョルトに私淑傾倒し、その影響下で写真とタイポグラフィを組み合わせた独自のスタイルを確立した。
今回のエンブレム選考委員会を統括する永井一正は戦後その原弘や亀倉雄策の下でキャリアを開始したデザイナーなのだから、チヒョルトの仕事を知らない筈はなかろう。当然その有名な書体「トランジト」の存在も熟知していたに決まっている。にもかかわらず、それに酷似した案を一位に推したのは如何なる料簡からか。どう考えても不可解というほかない。耄碌してデザインの基礎を忘れたのか? かもしれない。我々の与り知らぬ奇怪な思惑が働いたのか? かもしれない。
附記)
当エントリーにアクセスが集中しているので一言だけ補足。小生はエンブレムがチヒョルトのタイポグラフィに似ているという一事をあげつらっているのではない。そうではなく、その引用になんの理念も込められていないことに憤っている。先人へのオマージュでもリスペクトでもなく、ましてやパロディやパスティーシュの意図もない。要するに単なる思い付きからのパクリ以外の何物でもない。
しかもチヒョルトの原典に遡ることなく、2013年に東京・銀座のggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)で催された「ヤン・チヒョルト展」のために白井敬尚さんが作成した「J. T.」ロゴ(
→同展カタログ表紙 これは紛れもなくオマージュ作品だ!)から「T.」(Tとピリオド)を臆面もなく借用した。そこには理念や哲学の欠片もなく、ただお気軽なイタダキ=剽窃行為なのだから恐れ入る。
この自称アート・ディレクターはサントリーの一連のトートバッグでも、母校である多摩美のポスターでも、同種のアイデア盗用、画像流用を平然と行う常習犯なのである。手鏡で女性のスカート内を覗き見した廉で教授職を失った事例があったが、今回の一連の事態はそれより遙かに悪辣で深刻な破廉恥行為であり、教育内容と深く関わっている。かかる職業倫理を欠いた失格者が平然と母校で教鞭をとる多摩美術大学統合デザイン学科の現状は醜悪そのものというほかない。
ここらで気分を変えたい。もう九月なのだし。心に染み入るヴィオラの調べで、こみ上げる怒りを鎮めよう。
《今井信子/ヴィオラの魅力──シューベルト/アルペッジョーネ・ソナタ》
シューベルト:
アルペッジョーネ・ソナタ
ブラームス:
ヴィオラ・ソナタ ヘ短調
ヴィオラ/今井信子
ピアノ/小林道夫1971年8月23、24日、東京、郵便貯金会館ホール
山野楽器 Eastworld YMCD-1041 (1996)
→アルバム・カヴァー今井信子さんが日本で録音した初アルバム(だと思う)。東芝EMIから出たLPでは伴奏の小林道夫さん(当時すでにフィッシャー=ディースカウやオーレル・ニコレの信頼厚い名伴奏者だった)とのツーショット写真だったと憶えている。演奏は驚くべきものだ。二十代の今井さんの弓運びには迷いが全くなく、単刀直入まっしぐらに音楽の核心へと突き進んでいく。とりわけ「アルペッジョーネ」がそうだ。その清々しいほどの潔さに感動する。このCD帯の惹句に「
今井信子の "青春の書" ともいうべきその至芸の出発点がここにある」とあって、捻くれ者の小生もこれには頷かないわけにいかない。
小生は彼女の事実上の日本デビューだった演奏会に居合わせたのが自慢である。高校二年だった1969年12月、学校帰りにその足で学生服のまま上京し、招待葉書を手に内幸町にあった旧NHKホールに生まれて初めて足を踏み入れた。NHK交響楽団の公開録音があり、二曲目の独奏者が日本ではまだ無名だった今井さんだった。そのとき彼女が弾いたヒンデミットの《シュヴァーネンドレーアー》に強く魅せられた。その時のヴィオラも、このCDのように、朗々と勁い、それでいて人間的な響きがした(ように子供心に感じた)。四十六年前のことだ。