私事に追われているうちに六月ももう下旬になってしまう。これではならじと雨のなかを銀座に出た。四丁目の「教文館」の九階「ウェンライトホール」で開催中の「
エドワード・アーディゾーニ展」を時間をかけてじっくり拝見するためだ。入口で手渡されたチラシから主催者の口上を引く。
20世紀英国を代表する画家エドワード・アーディゾーニ。1959年に日本で出版された『ムギと王さま』の小さな挿絵に魅かれ、アーディゾーニ作品の世界的なコレクターとなった佐藤英和氏(こぐま社創業者・現相談役)の蔵書を初公開いたします。他にも商業デザインの仕事、リトグラフ、ペン画など、日本では目にすることのなかった作品もあわせてお楽しみください。
いやはや、これは凄い展観である。アーディゾーニの自作絵本はもとより、さまざまな挿絵本(童話、小説、詩集など)、独立した版画作品、ペン描きによる原画類、さらには自作のクリスマス・カード、広告や招待状といった片々たるエフェメラに至るまで、実に丹念に収集されていて驚かされる。数年前に『チムとゆうかんなせんちょうさん』の初版原画(ヴィクトリア&アルバート美術館蔵)の完全覆刻版を刊行して世界を唸らせた佐藤氏だけのことはある。確かにこれは「世界的なコレクター」の長きにわたる執念と愛情の賜物というべき空前絶後の展覧会だ。
教文館の会場は例によって手狭だが、今回はその小さな空間がアーディゾーニの親密な世界とうまく調和して、これまでにない濃密な展示を実現していた。出品作品リストが用意されていないので記憶で書くしかないが、エリナー・ファージョン作品の一郭、ジェイムズ・リーヴズ作品の一郭はとりわけ素晴らしく、前者では壁に掲げられたいくつもの原画(ペン画)の印刷ではわからぬ半暗部の緻密な美しさ、後者では(不勉強な小生なぞは)存在すら知らなかった詩画集の数々に惚れ惚れ見入った。アーディゾーニにとって、このふたりの文学者がとりわけ肝胆相照らす格別な存在だったことがひしひし感じられた。
ほかにも、第二次大戦中に従軍画家として描いた防空壕の情景(大判の石版画)の胸を打つ真率さ(ヘンリー・ムアと双璧である)、『ストランド』誌の求めで雑誌附録用にこしらえたミニチュアの舞台セット(切り抜いて組み立てると小さな劇場舞台になる)の秀逸な出来映え、そしてもちろん佐藤氏が心血を注いだ『チムとゆうかんなせんちょうさん』の原画覆刻版の刷り出し(額装されて全頁が壁に掛かる)も、溜息が出るほどにヴィヴィッドな美しさだ。
個人的には会場の一郭に設けられた「アーディゾーニと音楽」(だったかな、うろ覚え)の硝子ケースにひときわ愛着を覚えた。その片隅に置かれた "The Story of Let's Make an Opera!" (OUP, 1962 →これ) こそは我が鍾愛の一冊だからだ。無愛想な表紙で損をしているが、これはベンジャミン・ブリテンが子供向けに作曲したオペラ(《小さな煙突掃除人》なるオペラを子供たちが上演するまでの顛末を描く/1949)を、その台本作者エリック・クロージアが自らノヴェライズした愉しい読み物だからだ。勿論アーディゾーニの小挿絵が随所に入る。
こういう見過ごされがちな地味な挿絵本にまで目を光らせ収集した佐藤氏の眼力にはただただ恐れ入るばかり。収集家とはかくありたいものだ。
並べられた個々のアーディゾーニ作品の素晴らしさ、保存状態の完好さにうっとり見惚れつつ、各コーナーを行きつ戻りつしていたら、すっかり呪縛されて二時間が瞬く間に過ぎ、ちょっと立ち去れないような心持になった。またぞろ再訪するかもしれない。7月13日まで。11時~19時、月曜休み(7月は無休)。
追記1) 教文館六階の児童書専門店「ナルニア国」の小ホールにも興味深い関連展示がある。このフロアでいろいろ買物をしたら上階の展覧会の割引葉書を頂戴した(入場料が百円引になる)。であるから先に六階に赴くことをお薦めする。それにしてもアーディゾーニ関連書籍、日本はともかく英本国でも新本で入手できるものはごく僅かという。いやはや世も末ぢゃのう。
追記2) 九階の壁面展示で、アーディゾーニの挿絵に導かれつつファージョンの詩篇『マローンおばさん』を読んでいって不覚にも最後の場面で泣いてしまった。老齢で涙脆くなったこともあろうが、やはり感動的な結末の故だろう。
追記3) アーディゾーニはホガース、ローランドソン、クルックシャンクから連綿と連なる英国風俗画・挿絵画の伝統を受け継ぐ最後の人という感が深いが、同時に彼はレンブラント以降のヨーロッパ銅版画の流れを汲む正統派の素描家とも位置づけられよう。綿密なハッチングや繊細な半暗部の描写など、レンブラントのエッチングをアーディゾーニが熱心に研究した形跡は明らかだ。
追記4) ちらと耳にした噂に拠れば、この佐藤氏のアーディゾーニ・コレクションは今回の展覧会を最後に収集家の手を離れ、といっても散逸してしまうのではなく、都内の見識ある児童図書館にまとめて移管されるとのこと。嫁ぎ先が決まっていると聞き、よそごとながら胸を撫で下ろした。ましてそれが上野方面の悪名高き某館でなくてなによりである。