少し前になるが、児童文学の水先案内人である「カ・リ・リ・ロ」ことカーネーション・リリー・リリー・ローズさんのブログで、エドワード・アーディゾーニについての記事が立て続けにアップされた(
→ここ)。
ちょうど原稿書きに追われていて、すぐに反応できなかったが、アーディゾーニと聞くと心の奥深くが俄かに波だつ気がして、なんだか居ても立ってもいられない。小生はこの挿絵画家の熱心な讃仰者とは到底いえないが、それでも懐かしい思い出がいくつかあって、それを少しだけ書き留めておこうと考えた。
アーディゾーニの絵をいつどこで初めて目にしたのか、となると記憶はもう不確かである。いずれにせよ八歳年下の妹の読書指南をしていた1960年代後半のことだから、すでに福音館から出ていた大判絵本『
チムとゆうかんなせんちょうさん』(瀬田貞二訳、1963刊
→これ)も目にしたと思うのだが、真っ先に思い出されるのは彼のペン画挿絵が入ったセシル・デイ・ルイスの『
オタバリの少年探偵たち』(瀬田貞二訳、1957刊)のほうだ。岩波少年文庫の一冊、それも段ボールの外函に収まった旧版だったように記憶するが、今はもう手元に残らないので、英国のパフィン版の表紙を掲げておこう(
→これ)。
そのときの第一印象はすっかり遠のいて曖昧だが、あえて言葉にすれば「ずいぶん古風な絵だなあ」といったところか。どの情景もなるほど雰囲気こそ豊かだが、物語が要請する主人公たちの性格描写は殆どなされず、どんな顔つきの少年たちなのか、その目鼻立ちすら判然としない(
→挿絵の一例)。
その次はフィリッパ・ピアスの "Minnow on the Say" (1955) だったろうか。もちろん小生が最初に手にしたのはこの邦訳版『
ハヤ号セイ川をいく』(←忠実だが趣に乏しい邦題だ/足沢良子訳、1974刊
→これ)のほうなのだが。戦後のリアリズム児童文学の草分けと評されるこの物語も、アーディゾーニの手にかかると遠い昔のお伽噺さながらだ(
→英国版カヴァー)。デビュー作でいきなり英国挿絵界の重鎮と組むとは名誉に違いないが、ピアスが彼の挿絵に満足したとはとても信じられない。その証拠に彼女は二度とアーディゾーニと組まなかった。
いやいや、肝心なことを忘れていた。小生がアーディゾーニの挿絵に初めて魅入られ、惚れ惚れと眺めたのは、岩波書店から石井桃子訳で美麗な「ファージョン作品集」が続々と出された1970年代初めの夢のような一時期に間違いない。
年とったばあやのお話かご ファージョン作品集1 →外函&表紙エリナー・ファージョン作 石井桃子訳 岩波書店 1970年7月刊イタリアののぞきめがね ファージョン作品集2 →外函&表紙エリナー・ファージョン作 石井桃子訳 岩波書店 1970年9月刊
ムギと王さま ファージョン作品集3 →外函&表紙エリナー・ファージョン作 石井桃子訳 岩波書店 1971年9月刊
こ、これ、これですよ、小生がアーディゾーニの神髄に触れたのは。ファージョン童話の、あの、なんというか、ふくよかで匂いやかで、夢さながら輪郭の定かでないお伽噺こそがアーディゾーニが思う存分ペンを走らせることのできる世界だったのである。Ardizzone という英国人らしからぬ苗字の綴り(イタリア系なので本来は「アルディッツォーネ」「アルディッゾーネ」と発音したか?)にも、なにやら魔法めいた不思議さを感じ取ったりもした。
石井桃子訳『ムギと王さま』はすでに岩波少年文庫(1959刊)でも、岩波少年少女文学全集(1961刊)でも読めた(ただし全二十七篇中の二十篇のみ)のだが、小生は何故か縁がなく、この「ファージョン作品集」で初めてその魅力に触れた。アーディゾーニの挿絵の印象はだからファージョンの語り口と分かちがたく結びついている。ファージョンは『ムギと王さま』に寄せたアーディゾーニの挿絵を見るなり「これこそ私が思い描いていた世界そのもの」と絶賛したという話だから、小生の受けた印象は決して間違っていなかった。これこそキャロル=テニエル、ミルン=シェパード、ケストナー=トリーアと並び称される不滅の黄金コンビなのだ。
おっと、うっかり忘れるところだった、もう一冊、ほぼ同じ頃に手にした素敵な挿絵入り童話がある。今しがた本棚から引っ張り出してきた。
ふしぎなマチルダばあや
クリスチアナ・ブランド 作
矢川澄子 訳
エドワード・アーディゾーニ 絵
世界の傑作童話・5
学習研究社
1970 →表紙もう久しく読み返していないが、この本もまたファージョンに勝るとも劣らず、古風で長閑なアーディゾーニにぴったりの連作物語だったように思う。今ほんの少し冒頭を読み返してみると、矢川澄子の翻訳が実に絶品である。お裾分けにちょっぴり紹介しようか(原文は総ルビ)。
むかしむかし、あるところに、ものすごく子だくさんの家が一けんありました。そして、その子どもたちがまた、それはそれは、とんでもないわからずやぞろいだったんです。
そのころは、たいてい、どこの家でも、いまよりよっぽど大ぜい子どもがいるのがあたりまえでしたし、また、そういう子だくさんの家の子どもたちが、わからずやぞろいだってことも、よくあったことです。ですから、おとうさんやおかあさんは、ねえやだとか、ばあやだとか、家庭教師だとかいった、いろんな身分のおてつだいさんをやとって、わからずやの子どもたちのめんどうをみてもらわなくてはなりませんでした。(家庭教師の女の先生は、フランス人やドイツ人のこともありました)それから、たいてい、みすぼらしい、ちびのやせっぽちの子もりむすめがひとりいて、ねえややばあやや家庭教師にいいつける用を、なんでもかたづけるのでした。
これからお話しする一家は、どうやら、どこのうちより子だくさんで、どこのうちよりわからずやぞろいだったみたいです。あんまり大ぜいですから、ここでは、その子たちの名まえをいちいちいうのもやめにします。話のすすむにつれて、みなさんのほうでせいりして、なん人いたか、かんじょうしていただきたいのです。ほおらね、続きが読みたくなったでしょう。
今は『マチルダばあやといたずらきょうだい』の題で別人による訳本が出ているらしいが、小生としてはやはりこの矢川澄子の達意の名訳を味わいながら、随所に散りばめられたアーディゾーニの挿絵を心ゆくまで愉しんでほしい気持である。