昨晩遅く古い資料を読み漁っていたら、思いも寄らぬ意外な新事実が判明して、それまでそう信じて書き進めてきた大前提が覆りかねない事態と相成ってしまった。論旨を貫く大きな枠組からすればごく小さな綻びなのかもしれないが、些細な罅割れからダム全体が決壊してしまいかねない不吉な予感がして、進退窮まって一睡もできないまま朝を迎えた。いやはや。
判明してしまった以上は無視する訳にいかないので、とりあえず註として正直にその旨を記して先へ進むことにした。断片しか残らない資料から百年前の出来事を順序だてて記述しようというのだから、細部はしばしば不明瞭で齟齬や相互矛盾が生じるのは当然だ。それらにどう誠実に賢明に対処するかが問われている。
そういう次第だから、昼夜がひっくり返った状態で、今やっと午睡から目覚めたところ。昨日までのレナルド・アーンもいいのだが、ベル・エポックの甘美な毒にどっぷり浸ってしまいそうなので、今日の背景音楽は異なる時代から。
"Bohuslav Martinů: Chamber Music"
マルチヌー:
ピアノ四重奏曲 第一番 (1942)*
オーボエ、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための四重奏曲 (1947)**
ヴィオラ・ソナタ 第一番(1955)***
弦楽五重奏曲 (1927)****
ピアノ/ダニエル・アドニ、ヴァイオリン/イザベル・ファン・クーレン、ヴィオラ/ライナー・モーク、チェロ/조영창(チョー・ヨンチャン)*
オーボエ/ジョエル・マランジェッラ、ヴァイオリン/チャーミアン・ガッド、チェロ/アレクサンドル・イワーシュキン、ピアノ/キャスリン・セルビー**
ヴィオラ/ライナー・モーク、ピアノ/ダニエル・アドニ***
ヴァイオリン/チャーミアン・ガッド+ソロミア・ソロカ、ヴィオラ/ライナー・モーク+テオドール・クチャール、チェロ/조영창****1994年7月17~19日、豪州タウンズヴィル、ジェイムズ・クック大学オーディトリアム
Naxos 8.553916 (1996)
→アルバム・カヴァー1990年代のナクソス・レーベルは典型的な安かろう悪かろうの廉価盤の発売元と看做されていた。名前を初めて耳にする演奏家、誰も知らない田舎オーケストラ(とりわけ社会主義崩壊後のロシアと東欧諸国)ばかり起用して、有名曲から初録音曲まで、とにかく膨大なディスコグラフィを誇ったが、演奏の質は玉石混淆、それも「石」のほうが圧倒的に多かったと思う。だがなかには吃驚するような名演奏も含まれているところが侮れない。つい最近その存在に気づいて取り寄せたこのアルバムなどは「玉」、それも珠玉の名盤なのではなかろうか。
なにしろ奏者の顔ぶれが凄い。イスラエル出身でヴラド・ペルルミュテールとゲーザ・アンダに師事した
ダニエル・アドニは、かつてEMI にいくつも録音があったピアニスト(グレインジャー・アルバムが記憶に残る)。ヴァイオリンにはオランダが誇る才媛
イザベル・ファン・クーレン嬢(小生が贔屓とする人)。チェロには近年惜しくもロンドンで急逝したロシアの名匠
アレクサンドル・イワーシュキン(当時はまだニュージーランドで教職にあった)、韓国出身でロストロポーヴィチ門下の俊英
チョー・ヨンチャン。ヴィオラにウクライナ系の指揮者
テオドール・クチャール(セオドア・クチャー? ナクソス廉価盤の雄)が名を連ねているのが目を惹く。初耳だが彼はもともとはヴィオラ弾きだったのだという。
出自もキャリアも芸風もまちまちの腕自慢たちがはるばるオーストラリアの田舎町で一堂に会したのは、ここで開催された第五回「オーストラリア室内音楽祭」に参加するため。上に名を挙げたクチャールはその芸術監督(当時)なのだそうだ。
そういう次第で演奏の質は極めて高い。しかもマルチヌーの時代ごとの変遷が辿れる室内楽四曲のセレクションが秀逸。小生のようなマルチヌー初心者にはまことに難有く、これを金一円(プラス送料)!で入手してしまったのには良心が疼く。いくら中古の廉価盤でも、そりゃあないでしょ! イワーシュキン教授ご免なさい。
さあて、また難行苦行に戻るとするか。原稿書きは昔も今も苦手とするところだ。