先週末、所用で久しぶりに高円寺へ赴いた。この街に住んだことはないが、隣の阿佐ヶ谷で1975年から数年間を過ごしたものだから、しょっちゅう訪ね歩いた曾遊の地だ。だから格別の感慨がこみ上げてくる。駅を降り立つと言い知れぬ既視感に襲われる。四十年の歳月を経て、建物はあらかた建て替わり、商店街も面目を一新したが、それでも骨格を成す街路は往時のままなので、懐かしい街に帰ってきた気分が充溢する。さながら旧友と再会するような嬉しい心持なのだ。
まず南口側に出て右方を見遣ると、老舗の洋菓子店「トリアノン」が今なお健在である(
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駅脇のガードを潜って北側へ抜けると、そこから高架線の線路沿いに阿佐ヶ谷方向に延びた狭い道があり、小さな店が鰻の寝床のように連なって中通り商店街を形成する。通りの入口にフランスパンの「サンジェルマン」が瀟洒な店を構え、その並びに古本屋「球陽書房」の小店舗があったと憶えているのだが、どちらも跡形なく姿を消していた。まあ当然だろう、四十年前の面影を探すほうがどうかしているのだ。
目的地はこの中通りに面した右側の建物の二階にあり、駅から至近と聞かされていたが、本当にそうだった。早足なら改札を出て一分とかからぬ近さである。捜す手間もあろうかと早めに家を出たのだが、約束の時刻に小一時間もある。そういえば昼食もまだなので、どこか適当な店はないものか、と思案しつつ振り返ると、いきなり視野に馴染のある店名が飛び込んできた(
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おお、とまたしても快哉を叫びたくなった。看板に曰く「ハンバーグステーキ専門店 NEW-BURG」すなわち「ニューバーグ」。1970年代に中央線沿線で青春期を過ごした者にはひどく郷愁をそそられる屋号である。ハンバーグをフライやコロッケと共に鉄板か皿に載せて供する安価な洋食屋。副菜に目玉焼と野菜と味噌汁が付く。当時の価格だと三百円台からあって、空腹に苛まれた貧乏人には福音だった。味はまあ普通なのだが、とにかく肉と卵と野菜が摂れて満足した。高円寺にはここを含め三店舗(四店舗だったか)あったが、小生が足繁く通ったのはこの店だ。アルバイトの帰り途中下車して、週に一度、二度と立ち寄った。食後は腹ごなしに古本屋を何軒も梯子しつつ隣町のアパートまで歩いて帰ったものだ。
その「ニューバーグ」がまだ営業していたか、お懐かしや──と感慨に耽る暇もあらばこそ、吸い寄せられるように扉を開き、店内に足を踏み入れた。
驚いたことに、店の様子は四十年前とほとんど変わっていないように思われる。間口が狭く奥行きが細長い店内には、逆S字状に蛇行したカウンターが設えられ(
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疾うに午後一時を廻っていたが、カウンターはほぼ満席状態。昔も今も安く手軽な洋食を求める需要は変わらないのだろう。以前と異なるのは、予め入口近くの券売機で食券を先に求めることだ。メニューを一瞥して、かつて好んで食べた定食類がそのまま変わらず供されているのを知り、嬉しい驚きを味わう。なにしろ四十年前と同じメニューなのだから! ほとんど奇蹟的といえはしまいか?
こうなるともうパヴロフの犬さながら、俄かに空腹感を募らせた小生は、昔だったらばとても手の届かなかった品、この店で最も高額な七百五十円の「Cセット」の釦を思わず押してしまう。定番のハンバーグに海老フライ、鮭フライ、鶏フライ、ソーセージが付く、と表の品書板にあった(
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ひとつだけあった空席に坐り、買い求めた食券(プラスチックの緑札)を差し出して待つこと暫し。程なく豪勢な「Cセット」が運ばれてきた。この店のハンバーグは予め焼いておいた品を電子レンジで温め直す。だからアツアツの焼きたてではなく、肉質も繋ぎの澱粉質の割合が多く、肉汁と風味に乏しい甚だ頼りない味だ。
とはいえ、それに異を唱える者はそもそも初めから「ニューバーグ」の客たる資格はなく、これはこれで旨いと舌鼓を打つべきだろう。三種類のフライはいずれも小ぶりながらパリッと揚げたてで美味しい。今どき珍しい真赤なウィンナソーセージが付け合せに供されるのも床しい。若布の味噌汁に少量の卵が混ざって搔き卵汁風になるのも昔と変わらぬこの店の流儀である。
食べながら往時をいろいろ想起する。走馬灯のように、と云ったら大袈裟だが、四十年前の「ニューバーグ」は田舎者の小生にとってそこそこ都会風の洒落た店に思えたものだ。レジのところで無料で貰える燐寸にはたしか洋画家の織田広喜が描いた物憂げな女性があしらわれていたと思う。曖昧な記憶だが、店内にも油絵の小品が飾られていたのではないか。現今の店内は往時と変わらぬ趣だと記したが、見回しても壁に絵はなく、飾り気のない実質本位の店になってしまったのが少しだけ哀しい。でも、そうやって時代に即応し、この街でしたたかに生き延びてきたのだろう。
ふと時計を見ると、もう二時近い。満ち足りた気分で店を後にする。また機会があったら必ず寄ろう。扉を開くとすぐ正面に目指す建物が見えた。