ともに1865年生まれというから、19世紀と20世紀の狭間に生きた感のある二人の作曲家
ポール・デュカと
アレクサンドル・グラズノーフ。
前者はもともと寡作だったうえ、半分近い作品を自ら破棄してしまった人だし、後者は早熟の天才ともて囃されながら四十の声を聞くや創作力が枯渇した。どちらも人も羨む才能を持て余したのか、不如意な人生を過ごした感が否めない。ともに前世紀の後期ロマン派の書法を捨てきれず、新時代を牽引する作曲家になりきれない中間世代だったところも、また後半生は実作を殆ど捨てて後進の指導に専念したところも、両者の生涯は期せずして似通った道筋を辿っている。
国籍も出自もまるで違うのに、同い年とはそういうものなのか。
折角の記念年なのだから、これを機縁として、普段は敬遠しがちな二人をもっと聴くようにしたいと思う今日この頃。まずは手始めに入門編を。
これらEMIが21世紀に入ってから編んだ二枚組CDシリーズは「
20世紀の古典」と題され、同社の半世紀に及ぶ豊富なステレオ音源から選りすぐった廉価な作曲家別アンソロジーである。さすがレコード界の老舗だけあって綺羅星のごとき名演奏を惜しげもなく繰り出した20世紀回顧の好企画だが、反面それは身売り寸前にまで追い詰められた大企業の断末魔の叫びともいえる。
"20th-Century Classics -- A Portrait of Paul Dukas"
デュカ:
交響曲 ハ長調*
歌劇《アリアーヌと青髭公》第三幕の序奏**
バレエ《ラ・ペリ》(ファンファーレ+舞踊詩)***
ピアノ・ソナタ 変ホ短調****
歌曲「愛」(ロンサール詞)*****
ヴィラネル******
交響詩「魔法使の弟子」*******
◆
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団* **
ピエール・デルヴォー指揮
パリ国立オペラ座管弦楽団***
ピアノ/ジョン・オグドン****
カウンターテナー/フィリップ・ジャルスキー、
ピアノ/ジェローム・デュクロ*****
ホルン/マイケル・トンプソン、
ピアノ/フィリップ・フォーク******
ミシェル・プラッソン指揮
トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団********1972年7月10~15日、パリ、フランス放送協会、スタジオ103* **
1957年10月14、24日、パリ、サル・ド・ラ・ミュテュアリテ***
1972年6月29、30日、ロンドン、アビー・ロード第一スタジオ****
2008年7月7~13日、パリ、サル・アクスティカ*****
1991年12月14、15日、
ブリストル、ブランドン・ヒル、セント・ジョージズ教会******
1994年11月18日、1995年6月27~28日、
トゥールーズ、アル・オー・グラン*******
EMI 6 78388 2 (2CDs, 2012)
→アルバム・カヴァーこれは最強のアンソロジーだ。もともと作品が極度に少ない作曲家だから、主だった楽曲は(唯一あるオペラ全曲を除くと)ほぼここで聴ける。あとは数曲のピアノ曲、若き日の(ローマ賞がらみの)カンタータくらいか。
しかも演奏がどれもこれも絶妙だ。
マルティノンが指揮する交響曲は感興と覇気に満ち、ステレオ初録音だったにもかかわらず、今なお同曲の最上の解釈だろう。それを凌ぐほどの名演が次の「ペリ」。若き日の
デルヴォーが残した目覚ましい成果(
→仏初出LPアルバム・カヴァー)ながら長く等閑視され続け、やっとCD時代にステレオで蘇った(併録のF・シュミット《サロメの悲劇》は未覆刻)。今は失われた往時のパリ楽団の床しい音色配合が心ゆくまで味わえる。
二枚目ではピアノ・ソナタが聴きもの。技術的にはほうぼう破綻しているのだが、憑かれたような熱っぽさが只事ぢゃない異形の怪演。
オグドン恐るべし。
"20th-Century Classics -- Glazunov: Ballets & Concertos"
グラズノーフ:
バレエ《ライモンダ》抜粋*
コンチェルト・バッラータ**
交響詩「スチェニカ・ラージン」***
演奏会用円舞曲 第一番****
バレエ《四季》****
演奏会用円舞曲 第二番****
ヴァイオリン協奏曲*****
◆
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮
フィルハーモニア管弦楽団*
チェロ/ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ**
エヴゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ソヴィエト国立交響楽団**
アナトール・フィストゥラーリ指揮
フィルハーモニア管弦楽団***
エヴゲニー・スヴェトラーノフ指揮
フィルハーモニア管弦楽団****
ヴァイオリン/ナタン・ミルシュテイン*****
ウィリアム・スタインバーグ指揮
ピッツバーグ交響楽団*****1956年1月13日、ロンドン、キングズウェイ・ホール*
1964年1月14日、モスクワ音楽院大ホール(実況)**
1956年3月1日、7月27日、ロンドン、キングズウェイ・ホール***
1977年10月7日、ロンドン、アビー・ロード第一スタジオ****
1957年4月17日、ピッツバーグ、シリア・モスク*****
EMI 6 78398 2 (2CDs, 2012)
→アルバム・カヴァー先のデュカがアンソロジーとして完璧だったのに比べ、こちらはひどく見劣りする。グラズノーフの最上の遺産は交響曲だろうに、ここには一曲も含まれない。いわんや、少なからず存在する室内楽やピアノ曲には一顧だにしない。それもそのはず、ロシア音楽に関してEMIはかつて提携していたソ連のメロジヤ音源に頼りきっていたから、自社録音が極度に乏しいのだ。
だが残り物に福といったらいいか、この二枚組にも名演が含まれる。
マタチッチが振った「ライモンダ」抜粋が実に秀逸、瀟洒にして雄渾な演奏はグラズノーフの神髄を見事に捉えている。それにひきかえ、
スヴェトラーノフの「四季」は気の抜けたような凡演に終始するのはどうしたことか。
フィストゥラーリ(懐かしい名だ!)が振った「ステンカ・ラージン」はたぶん初覆刻の珍しい音源だが、いかんせん楽曲がいかにも陳腐で内容空疎でいただけない。
それにしても、1906年から三十年間というもの、殆ど作曲に手を染めなかったグラズノーフを「20世紀の古典」と奉るのは相当に無理がある。本アンソロジーでも20世紀作品はたったのニ曲しか含まれない。その意味で1931年にカザルスのために書かれた(!)という秘曲「譚詩協奏曲」はこの二枚組の要(かなめ)、いわばレゾン・デートルたる作品ということになろう。ただし、これとてもEMIの独自録音ではなく、旧ソ連の実況音源(当然モノーラル)の流用なので興醒め。だらしないぞEMI。むしろここではハンナ・チャン(장한나)による「吟遊詩人の歌」とか、ジョン・ハールによるサクソフォン協奏曲とかの独自音源こそ収録すべきだった。